今、僕がインドにいて、素敵な仲間と思いっきりヨガの練習に取り組めて、ここで学んだことをまた多くの人にシェアさせてもらって、それがまた見えないところと見えないところで繋がって。そんな風に宇宙はひとつとして成り立っているのだろう。
繋がっていないものなんてなく、直接見えたり、認識はできないけれど、それは必ずどこかで繋がっている。
ひとつの宇宙として。
時もまたしかり。
僕の両親が歩んできた1秒1秒が今の僕を作り、またその両親もじいちゃんばあちゃんの1秒1秒から作られ、そのじいちゃんばあちゃんが出会った人のおかげで僕らがいる。
自分ってのは、この肉体でも考えでなく、結局全ての見えないところからの繋がりで出来ていて、そうすると自分ってのはこの宇宙全体ってことになる。
とても断片的で分かりにくくなってしまったけれど、僕はそう思って毎日を過ごしている。
2016年3月10日の晩、家族からばあちゃんの訃報が届いた。
ばあちゃんは肉体を手放したけれど、ばあちゃんの意識はまだこの宇宙に存在していて、形を変えて僕らとともにこの宇宙を旅しているのだろう。
ただ意識の入れ物を手放しただけ。
旅の話も、山の話も、海の話も、いつも写真を見ながら盛り上がった。
スリリングでクレイジーであればあるほどますます盛り上がる。
かっこよくて可愛い92歳だ。
そして本日、告別式が終わったようだ。
今回、悩んだ結果僕はインドからばあちゃんを見送ることにした。
今こうして毎日楽しく過ごせているのは間違いなくばあちゃんの人生のおかげで、僕はまた帰国した時にばあちゃんが喜んでくれるくらい楽しい話をしてあげたい。
だから今回は会いに行けなかったけど、帰国したらすぐに会いに行こう。
本当にありがとう。
おばあちゃん大好きだよ。