執着を無くすためにはどうしたらいいのだろう?と先日書いたブログを読んでくれた方から連絡をもらった。
以前のブログにも書いたように、どちらかと言うと、僕は執着心が薄い方だと思う。誰と比べてと言うよりかは以前の僕と比べると。
人は生きている間にたくさんの執着や欲と共に生きている。
あれが欲しい、こうなりたい、こうして欲しい。
あれがあれば私は幸せになれる。
こうなったら私は輝ける。
もっとあの人はこうしてくれたらいいのに。
でも、そうして手に入れたもの、与えてもらったものってのはいずれ壊れたり手放すときがやってくる。
常なるものはこの世には無いから。
そうすると、安心や幸せをもたらしてくれていたものは突如、不安や怒り、悲しみを生む対象に変わってしまう。
おかしな話だね。
それがあれば幸せだったのに、それが原因で悲しみが訪れる。
どんだけ立派なものや美しいもの、心地よい優しさを手に入れてもそれでは人は満たされることは無いのだろう。
“執着を無くすには”とゆう考えも実は新たな執着を生むことになるだろう。
執着が無くなれば楽になる。
逆を言い返せば執着があると苦しむ。
そうなると、執着を無くしたいと思ったときから、執着がある事が苦に感じられてしまう。
そんなのは嫌だ。笑
こんな話は何日あっても話し尽くせないし、話してどうこうってわけでもないと思っているのでこの辺でお終い。
要は頭で考えるより感じで体験するしか方法はない。
1日30分だけでもいい。
朝起きてから、夜寝る前。いつでもいいけどただ目を瞑って、じっと座ってみてください。
シンプルなようでそれが、すごく難しい。
イライラもするだろうし、時間が気になるかもしれない。落ち着きが無くなって動きたくなることもあるだろう。
でも、それに耐えてただじっと座るだけ。
いつかきっと気づくでしょう。
大切な何かに。
手に入れたもの。与えられたもので満たされるわけではなく、すでに僕らそれぞれが満たされていることに。
今の自分はもう完全な幸せを持っている。ただそれに気付かず、周りに何かを今まで求めていたことに。
今の自分が100%幸せだなんて、そんなことはない!と思う人がほとんどかもしれない。
でも、そんなことはない。
自分の思うその幸せは何なのだろう?
結局は今ない何かをまだ求めているのではないだろうか。
いつか不安や怒りに変わる何かを。
ヨガだってサーフィンだって旅だって、全ては瞑想なんだ。
波があればいいなと思って行った海が、全然波が無くてもいいじゃない。空を見上げれば青空が広がり、美しい空気がそこにはもうある。
無いんじゃない。有るんだ。もう。
実は執着があろうが無かろうが、もう幸せはここにあったんだ。
そうなった時に、自然と執着は消えているでしょう。
もちろん、大切なもの、大切な人が不安を与える存在と言っているわけではない。
そんな大切なもの、大切な人がいてくれる事によって今が満たされているわけだから。
矛盾なような矛盾でない話。
これは頭ではなく、感じなければならない話。
海行きたいなぁ。笑