今年もこうしてインドで練習する事ができている。
僕は並々ならぬ思いを持って毎年インドにやってくる。
ただ長い休みを取って、ヨガしながらのんびりしたいからという理由ではない。
こうして継続して何ヶ月とゆう長い期間をインドで過ごす事が、いかに大切かを知っているからだ。
季節労働とは違い、インドの師の元でアシスタントをしようが、仕事の研修のように、ヨガをいくら学ぼうが給料が発生する訳ではない。日本で貯めたお金は減る一方。
日本で働く数ヶ月、頑張るしかない。
それに加え、毎年何ヶ月も日本を離れるのだから働き方の在り方も考え直さなければいけない。(こんなわがままさせてもらえてるのは皆さんのおかげ。ありがとう。)
僕はこのインドに来るとゆう事を第一に考えて日本で生活している。インドに通う仲間たちもそう考えている人も少なくないだろう。
同じように毎年通う仲間たちも、簡単にここへやって来る人は一人もいない。みんな色々な調整を経てここへやってくる。
時間やお金が出来た時に行く。とゆう考えでは、こうして通う僕らがここで得ている、伝統や知識や想いや生き方ってのはなかなか簡単には得られないのだろう。
そこへ毎年必ず行って学ぶんだ!とゆう姿勢で迎えた練習で学ぶものはやはり深く、様々な想いとともにそこにある。
僕らは通えているから人が得られない知識を持っているよ。と言いたい訳ではなく、もちろん一回行くことに様々な想いを持ち、そこで学んだ事にはその人にしか分からない強い想いと学びがあるに違いない。
毎年来る人が偉いわけでもなく、一度も来たことが無い人は僕らには無い知識や想いがある。
ただ、何よりも優先して毎年この地へ来て学ぶと言う想いは、その想いをもった者にしか得られない経験や師との関係性を生む。年々、強く深く。繋がっていく。
ヨガの知識や生き方は伝統と共に脈々と受け継がれ、その土地に根付いてきたエネルギーのこと。
僕はそう感じている。
人や、山や、太陽や水と共に。
師から弟子へ。
毎年通うことで見えてくること、気づくこと、それは来ないと絶対に分からない。本で読もうが、人から話を聞こうが、知識とは言葉では無いから。
見えないエネルギーを身体に纏い、取り込み、活用しなければ。
世界中のプラクティショナーもきっと同じ。様々な想いを持ってみんなインドへ来ている。30年以上毎年来続けている人もいる。
そんな様々な想いをもってインドへやってくる仲間たちと練習できるのも、この地での練習を更に素晴らしいものへと導いてくれる。みんな魅力的で刺激的で。毎年のゴアでの練習もそうだけれど、今年のマイソールでの練習はそんな素敵な仲間たちともたくさん共に時間を過ごさせてもらった。
彼らと練習がしたくて、僕はマイソールにもまた行くだろう。
(Photographer: Hiroki Isohata)
できる事ならまだこれから何年もインドへ通いたいと思うし、そう出来るようにあらゆる面で努力していきたい。
いつか何かの理由があって来なくなる時は必ず来るけれど、それはそれでまた何かが起こる時なのだろう。
つい数週間前まで、今年はこのいつもの地で練習できないと思っていた。
それは僕がどうこう言おうが変わらないし、今年はそんなタイミングなのかと、この続いてきた流れが途切れるのも覚悟していた。ここで練習できないなら、仕方がない。早々に帰国しようとも。
でも、今こうして今年もここで師と共に練習をすることができている。
ここで練習できることの有り難さを改めて感じながら。
師との再会のハグはいつも深い愛に包まれ様々な想いが込み上げてくる。
1日1日を大切に。ありがとう。
ヨガして、サーフィンして、昼寝して、フルーツ食べて。
さぁ、今日ものんびりバカンスだ。