インドより、新年あけましておめでとうございます。
私は3年続けてのインドでの新年を迎えることとなりました。
こうしてインドで学びたい学びを存分に学べ、
その恩恵に明らかに包まれている日々の生活を送り続けられていること本当にありがたく思います。
こうしてヨーガやヴェーダ、インドに出会えたことに敬意と感謝を込め、
私は今日もヨーガやヴェーダとともにインドで過ごしています。
昨年、11月11日。
徳島県の小さな町、海陽町の山の奥。
轟の滝で毎年恒例の轟神社の秋祭りが行われておりました。
私がまだ関西を拠点に旅を続けていた頃、この海陽町に出会い、
そして、まだ訪れて間もない頃、この轟の祭のことを知りました。
今では、日本各地で徳島や海陽町、藍やサーフィンの魅力を伝え、ちょっと有名人となってしまった、海陽町のローカルサーファー永原レキ氏。
彼との最初の出会いはこの轟の祭の前日でした。
そして、出会って間もない彼は私をこの祭りへと招待してくれたのです。
この轟の祭とは。
山の奥地に生まれた四国最大の滝、轟の滝。
その滝に向かい、選ばれし男たちは極寒の川に一枚の布すらも纒わず、飛び込み身を清める。
その禊は、夜中も早朝も2時間おきに行われ、その回数は10回近くに渡る。
秋とはいえど、山奥の川の水は足をつけるだけでも気がひける程冷たく、
飛び込めば、心臓が押し潰されるような感覚が襲ってくる。
大声で叫ばなくては、自然の圧倒的な力にあっとゆう間に飲まれてしまう。
ただ、身体を川に沈めるだけでなく、僕らが目指すは滝壺、そして、その先の滝の裏側。
巨大な滝からのものすごい量の水が押し寄せる中、流れに逆らいひたすら泳ぎ、滝を目指す。
これはどこか瞑想的で、禊を重ねるごとにその自己との対話はより深いところへと向かう。
一回の禊でどのくらいの時間水に浸かっているのかは分からない。
ただそれはとても長いような、でも時が止まっているかのような。
不思議な時間だ。
この滝には女性の神様が宿っている。
そのため、川には女人禁制、男たちは裸になり身を神に捧げる。
この禊は本当に自然との関わりを教えてくれる。
宇宙の摂理。私という存在。
山に雨が降り、滝となり、川を流れ、海へと繋がる。
太陽がまた雲を作り、雨が降る。
僕らはこの川の恩恵を受け、生き物が生き、そこに育つ食物をいただいている。
サーファーにとっては、轟の滝が生む海部川は特別で、海部川の河口は世界中のサーファーを魅了する波が立つ。
この海部の河口に憧れて移住してくるサーファーも多く、
轟の祭りに参加した仲間の中にもこの海部を愛する人たちがたくさんいる。
自然の近くで生活する僕らだからこそ、この祭りはとても馴染み深く、
この地で生活する人々にとってはとても祈り深い祭りなのである。
神輿を担ぐ時間が近づくにつれ、多くのこの町に住む老若男女はこの山奥へやってくる。
それぞれの祈りのために。
幾度となく繰り返された禊の後は、白装束を纏い、神様を乗せた神輿を担ぎ、滝壺へ向かう。
神輿の重さは単なる物質だけの重さだけではないような、今まで経験したことのないような重みで、
この神輿を担ぎ、滝まで向かう道中、叫び、涙が溢れてきた。
この涙の意味は今となっては明確にははわからないけれど、
きっとそれは嬉しさと、感謝と、喜びと、この土地に生きる全ての代表として、神輿を担がせてもらったからなのだろうか。
神輿を担いでの滝壺は、御神体である神輿を川の岩にぶつけないように必死に守ることで寒さなど感じる余裕などなかった。
男たちは必死に神輿を守り、履いている草鞋も白装束もボロボロになりながら叫び、また神社へと戻ってくる。
田舎に受け継がれた、ひとつの祈りのはなし。
僕はよく、インドは祈り深い国だという話をする。
インド人は常に祈りとともにある。
ただ、日本でも祈りの文化はまだまだたくさん残っているに違いない。
祈ることの意味が少しづつクリアになってきたならば、どこででも祈ることはできるし、
生活の全てが祈りともなり得る。
僕は日本でも祈り深き人とともに生活させてもらっています。
日本の美しき祈りに出会った、僕の誕生日11月11日でした。
※写真はこの祭りのために東京から駆けつけて、夜通し禊を共にしたHisadomi Kentaro氏によるものです。
彼の写真には彼の祈りが込められている。いつもとても素敵な写真ありがとうございます。