マットの上に立つ前に。

Namaste.
 
と言いつつも、僕は今スリランカにいます。
 
7年目のインドにして初めて見るVISAの文言。
EACH STAY NOT TO EXCEED 90 DAYS.
 
インドvisa取得者の一部のvisaにはこの一文が追加されており、
要はインドに90日を超えた滞在ができないということ。
 
旅の途中で知り合った人にこのことを教えてもらい、
急遽、今回の旅の予定が変わったのである。
 
12月中旬から2月上旬までのゴアでの練習。
2月下旬に開催されるヴェーダーンタの勉強会。
 
そのことを考えると今のうちに一度インド国外に出ておかなければならない。
 
クアラルンプールに行くのか、スリランカに行くのか、ネパールに行くのか。
南インドからだとどこもさほど値段は変わらない。
なのであればサーフィンのできるスリランカへということで、今スリランカにいます。
 
今シーズンも半年丸々インドで勉強する予定なので、今出てしまうと3月あたまにもう一度出国する必要があります。
なので3月はネパールへ。
 
予想外の移動によりいろいろと予定が変わってしまったけれど、インドのことなのでもういちいち気にしていてもしょうがない。
楽しむことにしましょう。
 
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聖山アルナーチャラ
そう。
このスリランカが終わり、インドに戻ってから少しの間Adi Shankaracharyaを巡る旅をしたら、今年もゴアでの練習が再開されます。
 
12月あたまからはインド・マイソールのシャラもオープンとなり日本全国、世界各国の同志たちがインドで練習を始めました。
 
きっと今頃、素晴らしい空間での練習を彼らは楽しんでいることでしょう。
 
そして毎日たくさんの学びや知識をマットの上に立つことで学んでいることでしょう。
 
もちろんマットの上で学んだことが、普段の生活に使われなければ意味はないけれど、今日は毎日立つこのマットにどのように僕らが向かい合っているかをちょっと書き記したいと思う。
 
きっとインドにわざわざ毎年来て練習する彼らも、日本で練習する多くの方もきっと似た想いだと思うけれど。
僕なりのマットへの向き合い方を少しだけ。
 
 
僕はヨーガを始めたばかりの人や、アシュターンガヨーガを続けたい人にはまず、無理なく気持ちのいい範囲で練習すればいいと言う。
それが太陽礼拝1回でもいい。
そうすると、どんどん朝のヨーガの時間が他の時間より大切になって、気づけばマットの上に立つことが当たり前となる。
1回だったものが5回になる。
嫌嫌、決めた時間をやるより、その日の体調はみんな違うし、スケジュールもみんな違う。
なので、無理なくできる範囲をやればいい。
 
でもこれはヨーガの叡智や恩恵に触れるまでのプロセスにすぎない。
 
もし、アーサナをすることによって身体的なストレッチや心がクリアになることでの心地よさに気づきはじめたならば、そこから、その心地よさがヨーガの叡智や恩恵によってもたらされているものだと段々と視点が変わってくる。
 
ストレッチをしたから気持ちいいのではない。
アーサナやプラナーヤーマをしたことによって、ヨーガの叡智が入り込んできたのだ。
筋肉が伸びたということ以上に、身体の中では想像もつかないような様々なことが働き始めているのだ。
 
もちろん、身体が凝り固まってほぐしたいから朝の練習をしたいと思うことはもちろんある。
気持ちいいから毎日練習するのももちろん嘘ではない。
 
ただ、気持ちいいから毎日練習するというのは長く練習を続ける人にとってはほんの一部分にすぎないのではないだろうか。
 
僕(ら)がなぜ毎日マットに立つのか。
 
それは、そこに学びに、そして叡智を迎え入れに行くのだ。
この身体というテンプルに神を迎え入れるように。
 
インドやアジアの様々な国ではこの身体はひとつのテンプルであるという教えがある。
ヨーガの叡智をこの身体に。
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シヴァテンプルでの祭典
 
もしこの身体が仮にテンプルだとしたら、
どこのテンプルが神様を祀るのに掃除も手入れもせずに神様を祀るだろう。
 
僕らがヨーガから得ようとしている知識とはそれくらい神聖なものであると僕は考える。
 
インドではテンプルに行く前には、シャワーを浴び、身体を清め、正装をしてテンプルに入る。
それは当たり前の礼儀なのだ。
 
僕らの生活の中で例えるならば、
もし大切なお客さんを自宅に迎えるとき、部屋の掃除もせず、身体も清潔にせず、お客さんを迎え入れることがあるだろうか。
 
マットに立つ前にシャワーを浴びなさいと言われるのはきっとそういうことなのだろう。
今から教えを迎え入れに行くのに、身体を清めずにマットに立つということは、汚いテンプルに神様を祀るのと同じことなのだろう。
 
インドでの師の元での練習は更に普段のセルフプラクティス以上の教えを身体に迎え入れる。
 
語弊を生むかもしれないが、それを承知であえて言うのならば、
僕はインドの練習の一日一日を真剣勝負の絶対に負けられない試合のような気持ちでマットの上に立つ。
 
それは、勝ち負けということでもないし、競い合っているわけではない。何かを求めているわけでもない。
なにが一番しっくりくる表現かわからないけれど、とにかくその一日のうちの数時間にすべてを注ぎ込み向き合うように。
毎日同じことをやっているだけなのに、毎日毎日そういった意気込みだ。
 
その真剣に向き合う時間の準備には、身体の外側だけシャワーで綺麗にすればいいというものでもない。
マットの上に立つ前に、朝のトイレで身体の中を綺麗にしておきたいし、そのためには食べるものも、食べる時間も、寝る時間も。
マットに立つ時にあれこれ考えなくていいように、人間関係や仕事だって。
ありとあらゆることを見極め、身体と心がクリアな状態を保てるライフスタイルを送り、そうして初めてマットの上に知識を迎え入れる準備を整えて立てるのだ。
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テンプルの門”ゴープラム”
 
こうしてインドにやってくる仲間たちもみな何ヶ月も仕事を休んで練習に来る。
インドとはいえど、お金だってかかる。
日本であってもスタジオに通い時間とお金を割いてでも毎日練習する人も同じ。
 
その勉強がしたくて、一生懸命バイトをし、学校に通う苦学生はきっと、ひとつひとつのクラスを大切に受けるだろう。
きっと彼らはノートや鉛筆を忘れることなく、開始ベルの鳴る前に椅子に座るだろう。
 
一日一日、マットに向けてみな真剣なのを僕らはお互い知っている。
 
マットの上に立つということは、知識を、叡智を、迎えに入れに行く。
一日一日、僕はテンプルに足を運ぶかのような気持ちでにマットに立つ。
 
そして、そうして迎え入れた知識をうまく使えるようにマットから下りて一日を始めるのだ。
 
歳を取ってもこうして毎日、鉛筆を忘れたくないくらいの気持ちで向き合える学びがあることを幸せに思う。
 
明日もまた、みなさんがマットの上で素晴らしき知識に出会えることを祈って。
 
Om

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