言うは易く行うは難し

この徳島県の山奥の小さな集落に住み始めてそろそろ1年になろうとしています。

ここは携帯の電波もなく、住人も我々を含めて15人。

僕ら2家族の移住者5人を除く、地元の人は70代1人、80代9人。

徳島県といえども徳島市内に行くには2時間半。

薪を割り、火をおこし、かまどで米を炊き、川で洗濯をして、畑で野菜を育てるそんな生活です。

都会で生活している人からすると嘘みたいな本当の話。

ボタンを押したら部屋が暖まることはなく、
チェーンソーを持って、木を切りに行き、
大量の丸太を軽トラで運び、
その丸太をひたすら斧で割って、
その薪を何ヶ月も乾かし、
ようやく部屋が暖まる。

僕はここで何がしたいのか。

そんな話を今日は雨で外の仕事ができないので書いてみようかなと思います。

こうしてブログを読んでくれている方の大半は、僕のことをヨーガの先生だと思って読んでくれていると思います。

実際はそんな部分もあるのかもしれませんが、僕はいつまでたってもそんな自覚はあまりないわけで。

ヨーガの先生として生きているつもりは正直ありません。

いいかっこするな!と思われてしまうかもしれませんが。(いいかっこなのかどうかわかりませんが。)

と言うより、自分でもよく分からないと言ったところでしょうか。

もちろん、クラスをさせてもらうときは責任を持って立たせてもらっておりますし、ヨーガをこの一生をかけて学び実践していくつもりではありますが。

実際、ヨーガのクラスをしていない時間の方が圧倒的に多いわけで。
土や木を触っている時間の方が長いですし。

たまに学んだことをシェアさせてもらうだけの、ただのヨーガ好きの田舎の兄ちゃんです。

なので、ヨーガの先生として、一生懸命ヨーガを伝えなきゃ!という気持ちでも全くないので、毎年、お声をかけていただけたところに伺わせてもらう以外は基本的には村生活。

ネットを駆使して伝えたいわけでもなく。
クラスをしないことを不安に思うわけでもなく。

なんならこの半年なんて、ほとんどクラスなどせず、薪割りと川で洗濯ばかり。

テレビもねぇ、電波もねぇ、ネットもほとんど見ることねぇ。
といった生活なので、完全に世の中のヨガ事情を知らず、取り残されております。笑

ではなぜ、ヨーガのクラスをさせてもらっているのか。

いくつか想いはある中で、大きく占めているのは

簡単に言えば、

この自然や環境にもっと目を向けて欲しい。と言うことでしょうか。

その結果、我々の生活はもっと豊かになる。

そんな思いを”ヨーガ”や”食”を通して伝えさせてもらっているのわけなのです。

結局、ヨーガの教えではそうしたところもあるはずなのですが、

なかなかそこは都会での生活の中では忘れがちになってしまうのではないかと、山から街を見てよく思います。

こうしてヨーガを伝えさせてもらう前に働いていた会社も環境を守ることを理念とした会社でした。

表向きはアパレル会社ですが、店頭でお客さんに僕は環境の事ばかり話していました。

洋服を通して、僕らがすべき環境へのアクションを。

会社から言われているからではなく、僕がただ伝えたくて。

時には同僚にも上司にももっとできることあるでしょと噛み付くことさえも。

それが当たり前に言えたのは職場の全員がそこに大切な何かがあることを知っている人たちだったから。

ただ、もっと自分の伝えたいことをフィルターを通すことなく、あらゆる層の人たちに伝えたいので、その会社を辞め、ヨーガを伝えるという立場を選んだのです。

その頃も、今も同じ。

自分が体現していないことは伝えられない。

ヨーガも同じ。自分が実践していないこと、意識していないこと、本当にそうした世界観が見えていないことは伝えられない。

だから僕はこうした生き方を選んだわけです。

生活の中でできるだけ、環境に配慮をして、無駄なものを生み出さない。

今、僕がしている生活が100点だなんて思わないし、僕のしている生活を皆がすべきだとも思わない。

皆それぞれ違う環境で生活しているんだから、洗濯は川で。
水道水は飲まずに、山の水を飲みましょう。

そんなことを強要したいわけではないんですね。

でも、ヨーガや僕の生活の一部を見て何を感じ取って欲しいかといえば、今まで知らなかった現状や、普段意識しなかった当たり前に過ぎていた無駄なものや状況に目を向ける機会を持ってもらえれば嬉しいなと思うのです。

それは、どの環境にいようともできることだとは思うのです。

実際、横浜に生まれ、東京の大学に通い、大阪で仕事をしていてもそんな想いを持っておりました。

あとは、そこに対して、継続して意識を向けることができるための心の準備や判断のために、ヨーガってとても重要だと思うんです。

知っているけど、継続して続けるって本当に大変ですから。

言うは易く行うは難し。

実践している人が善で、していない人が悪ではないし、

これから少しずつみんなができることを考える時間が作れたらいいなと思って日々ヨーガを通して伝えています。

ヨーガってこうゆうこと!って部分が伝えたいのではなく、

ヨーガを学んで何が大切かの識別がだんだんと見えるようになって、

そうした行動がきっとこの地球に届いて、それが巡り巡って僕らの周りに返ってくる。

そうした時代にこれからもっとなっていくと嬉しいな。

と時代について行けない田舎者は願うのでした。

いつも僕のリトリートはそんな想いをふんだんに詰め込んでいて、今年もそんなことをもっとやっていきたいなと。

9月には宮崎で環境フォーラムのようなリトリートも計画中。
僕もまだまだ学びたいし、みんなで一緒に学べるように、とても素敵なゲストも来てもらう予定です。

先日、Doniくんは先生というより、活動家だね。と言われました。

活動家にはまだまだ遠く及ばないけれど、その言い方の方が僕の伝えたい想いを表してくれる言葉な気がしました。

今年もたくさんアクションを起こしていくつもりです。

ヨーガをしている方って、みんなに良い影響を伝えるとても素敵な存在だと思うのです。

だから、そんなヨーギーの皆さんが、少しでもこうしたメッセージを胸に生活していたら、それが伝染して良い循環が生まれるんじゃないかと。

出来ることなら環境に関することは少しずつブログにまとめていけたらなとも構想中。

こんな時代だからこそ、みんなで大切な方を見て進んでいきましょう。

僕もまだまだ何が良いかを試行錯誤しながらの生活。

各地でいろいろ逆に教えてもらえたら嬉しいです。

2020年。

この世界がさらに良い方向へ向かっていきますように。


Om

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