エネルギーを食べる。 その2

2012年リシケシ。
ヨガの聖地と呼ばれるリシケシで2ヶ月過ごしていた時のこと。


たくさんヨガのクラスがリシケシにはあるが、僕は2〜3回だけクラスを受け、あとは基本的に毎朝宿の屋上でセルフプラクティスをしていた。

その屋上にはもう一人、オーストラリアから来たJohnとゆうおっちゃんが毎朝瞑想をしていた。

Johnはオーストラリアで瞑想を教えているらしく、当時まだまだ疑問だらけの瞑想の世界について色々と教えてくれた。

禅やヨガ、瞑想と言えば、欲を滅する

とゆうイメージを持つ人も少なくはない。

もちろんその考えは間違いではないだろうし、それだけではないとも思う。

ただ、そうなってくると一つ疑問が湧いてきた。

お腹がすいたな。トマトが食べたいな。

誰しも生きていれば腹はへる。

そして何を食べようか考える。

でも、これは〜したいと思った時に欲となってしまっているのではないかと。

瞑想していればトマトが食べたいなんて思わなくなるのだろうか?

ただ、Johnはこう言った。

トマトが食べたいと思うのは欲ではないよ。

ただ、その時にトマトがなくてトマトを必要以上に追い求めたり、ココロを乱された時、それは欲になるんだ。

当時、英語がほとんどしゃべれなかったけれど、きっとこんな事を言っていたのだと思う。

その答えは僕のその後の考えの色々なところで繋がってくれたのはまた別の話として。

そう、僕は今スリランカにいる。

これはひと月の間、海に入らずマイソールでひたすら練習をした結果、身体は海に入りたいと言っているのが聞こえたからだ。

スリランカの海に入った途端、細胞の隅々にまで海水と海のエネルギーが染み渡り、細胞ひとつひとつが喜び、踊っているのを感じた。


自分の身体の声をしっかりと聞いてあげて、何を与えるのか。それは欲ではなく、この身体を授かった役目としてしなければならない事な気がした。

海に入ったとき、そのJohnの言葉を思い出した。

その声を正確に聞き分けるため、僕はヨガをする。

食べ物もケミカルは口にしたくはないし、基本的には動物性のものもあまり口にはしたくはない。

でも、それは欲ではなく、身体の声を聞いて選択してあげるのが私の役目だから。

見えない様々なエネルギーを食べて僕らの身体とココロはここにある。

この境目はすごく微妙なものだと思うけど、間違いなくそのふたつのラインは存在しているのだろう。

まとめると、ただ僕はサーフィンがしたかったからスリランカにいるのだ。

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