4月の半ば、スリランカより再びインドへ戻り毎年練習をしているゴアに帰ってきました。
僕のアシュタンガヨガはここから始まり、毎年何ヶ月とゆう時間をここで過ごしています。
日本でも常に居場所が変わる僕にとってはここ数年ではこのゴアが一番長く過ごしている場所で、今やここが僕にとってはホームタウンになりつつある。
街をウロウロしていれば、いつから来てたんだ?とその辺のローカルにもよく声をかけられる。
ここは自然もあるし僕にとってはとても居心地が良い。
何より心から愛して尊敬する師と共に過ごせる時間がここにはある。
我が師には様々な想いがあるが、簡単に言えば、親父とゆう存在で、彼は自分をヨガのすごい先生だなんてきっと思ってはいない。ただ彼はヨガを教えるのが好きで好きでしょうがなくて、そんな彼の元に集まる練習生を家族のように迎え入れてくれる。
そんな彼の姿勢はまるで大家族の父ちゃんなのだ。
実際、今のゴアはオフシーズンのため、一般向けにヨガの指導は行っていない。
でも、彼らはいつもお前は家族なんだ。いつでも来て練習をしたらいい。と言ってくれる。
今、ここで練習しているのは二人だけだ。僕一人しかいないこともよくある。
大人数で練習するエネルギーも好きだけれど、一人で黙々と自分を見つめるこのオフシーズンのゴアの練習は1日の練習に計り知れないパワーと知恵が詰め込まれている。
僕はここより細かく身体の使い方を学べる場所は知らないし、もし少しでも間違っていたのであればすぐに嵐がやってくる。
ここで実際に練習したことがある人にしか分からないかもしれないが、こんな嵐になるところも僕はここ以外に知らない。
ただ、一見厳しいこの嵐のような指導も最初はただ吹き荒れているだけのようにしか見えないだろうが、これも深い愛と深い知識より生まれているとゆうことも僕は知っている。
この嵐の最中といったらもう、やめてくれー!と叫びたくなるほど辛いことだらけだ。心も身体も悲鳴をあげる。
ただ、この嵐を抜けることができたのであれば、今まで見たことの無い美しく静かな世界がそこには待っている。
僕はそんな世界を幾度となく見てきた。
嵐が辛くて、その先に何かあるとも分からず、途中で嵐の外に出てしまう人もいるだろう。
これは正月の富士山に似ている。
幾度となく飲み込まれた竜巻や突風の先に見えるあの景色のような。
別に嵐を抜けることが全てでは無いし、抜けなくてもいいと思う。
ただ、僕は1日1日ゆっくり時間をかけてこの嵐の出口と向き合うようにしている。何年も何年も。どこにいようとも。そこから目は絶対に逸らさぬように。
そして現に今年も初日から嵐の渦中いる。笑
僕はここにあと3ヶ月以上いるつもりだ。
一体、今年僕の身体と心はどんな風に変わっていくのだろう。
考えても分からないし、いつも考えつかないところに連れて行ってくれるから、今年もただひたすら練習をするのみ。
夕方になれば、また家を訪ねお茶飲みながら犬たちと戯れて月を見る。
シーズン中はなかなかゆっくり話す時間も少ないから、こうしてゆっくり家族のように話せるこの時期が僕はやっぱり好きなんだ。