ヨーガの先生であること

ナマステ。

僕はヨーガの先生であることを頑なに否定してきたこの数年。

ふと、なぜこんなにもヨーガの先生ではないと自分に言い聞かせてきたのだろうかと。

今日の練習を終えて少し静かに過ごしていると、いろいろと過去の記憶が整理されてきた。

僕はヨーガを学びたいと思い、さまざまなクラスをヨガスタジオで受けた結果、Ashtanga Yogaというものに出会った。

それからもっとそのヨーガを学びたいと思って、インドに通うようになった。

学べば学ぶほど、知りたい道が定まり、いつしか聖典を学ぶようになった。

そうしてだんだんとヨーガの全体像が見えて来たように思う。

その中で、多くの方と同じようにこの素晴らしい知識をシェアしたいと思い、ヨーガを伝える機会をいただくようになった。

僕はヨーガを伝えることがとても好きです。

でも、そうなるとどの世界でも同じなのかもしれないけれど、活動が広がれば面倒なことも起きるようになった。

何年も前のことだしもう過ぎた話としてですが、ヨーガを学ぶため、インドに通ったり、聖典を長く学んだ人だとしても、こんなちっぽけなことに嫉妬して、エゴに振り回されて、それでも人の前ではあたかも聖人のように振る舞って。

その教えは自分のものだとか、それは自分の領域だとか。

当時僕はこのヨガ業界に心底呆れてしまったんだと思う。

たったひとつのひとりの出来事によって。

そんなに欲しいならどうぞ僕は全ていりません、全部どうぞ。とその時先生であることを僕は手放してしまった。

僕はただ、自分が学びたいだけだから。

僕は昔からこうゆう癖があるのだと思う。

不必要な争いに巻き込まれるくらいなら、自分の持っているものはすぐに手放してしまおう、と。

その時の強い出来事が、きっと僕の頭のどこかにこびりついていて、今でも先生でありたくないと強く思っていたのだと思う。

でも、最初にも言ったように、僕はヨーガを伝えるのがとても好きなのです。

職業がヨーガの先生でなくても、ヨーガは伝えられる。

そんな想いでその人の領域?に入らないように、家の周りの地元の人に伝えたり、四国あたりから出ないようにしたり。笑

それでもやっぱり伝えるの好きだからちょこまかちょこまか、もう部外者だしという気持ちでうろちょろし始め、

そこから気心の知れた仲間と一緒に何かクラスをさせてもらい、よりちょろちょろし始めた。

それでも今日の朝まで僕はヨーガの先生であってはならないと、どこかに強い想いが纏わりついていてそれを自分に言い聞かせていた。

僕は今は環境活動と子供達の教育のことを熱心に取り組んでいて、間違いなくそれは何よりもやりたいことである。

でも、この環境問題や教育のこれからを考えている中で、僕の向かいたい世界を目指すには、全国のヨーガを学ぶみなさんと共に進んでいけたらと強く思っているのです。

みなさんと共に歩まなければ目指したい世界は実現しないと思う。

そんなみなさんとこの現状を共有するためには、僕は部外者であってはならないし、ヨーガのみなさんから離れた場所で活動をつづけても思い描く未来はやってこない。

ヨーガを学ぶみなさんの力が何よりも必要だと心から信じているのです。

過去のくだらない一つのできごとで、未来のこどもたちに返せる豊かな自然や、その子らしく生きる可能性を少しでも減らしてはいけない。

今朝の練習後、強くそれを思いました。

僕はみなさんに伝えたいことがまだまだたくさんあります。

それがヨーガなのか地球のことなのか、未来のことなのか。

僕の中ではひとつの物語。

ヨーガを学ぶ皆さんとまだまだ手を取り合い、未来をより良いものであれるように歩み続けるために、僕はヨーガを伝える人でありたいとまた強く思えるようになりました。

ヨーガの先生という肩書きを維持するためではなく、未来の地球や子供たちのために自分にできることとしてまたヨーガの先生であろうと思った朝の出来事でした。

がんこだから自分でも呆れちゃいますね。

改めて、ヨーガ指導者兼、環境活動家として積極的に活動していきたいと思います。

ヨーガから離れないようにと、この数年気にかけて指導の場を作ってくれたすべての仲間たちや先輩に感謝。

ちょっとずつ、指導者としても活動を増やしていければと思いました。

明日より胸を張ってヨーガの先生させてもらいます。

明るい未来を目指して。

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