ムダのてつがく

先日、文化人類学者であり環境活動家の辻伸一さんの講演会に参加させてもらってきました。

辻さんは”ナマケモノ倶楽部”という団体の代表の方で、環境活動や自然と共に生きる考えを伝えられている。

僕が辻さんのことを知ったのは、つい去年のこと。

我が家で既に”なまけもの食堂”をオープンさせた後のことでした。

僕はナマケモノという生き物の生き方にとても感銘を受け魅了され、そんな生き方を多くの方の生きるヒントにしてほしいと”なまけもの食堂”と名付けた。

ここで少しナマケモノの魅力を…。

そもそもナマケモノは自分のことをナマケモノだと思っているわけではない。

きっと働くことに囚われた人種の人間がつけた名前に違いない。

人になんとひどい名前で呼ばれようと、彼らは気にしない。

むしろ命をかけて一生懸命毎日を生き抜いている。

命をかけてトイレに行ったり、なるべく狙われないように少ない動きと少ない食事で日々を過ごしていたり。

それでも彼らは自然の循環の中にいる。

命懸けだが、排泄は自分の住む木の根元にし、木の栄養になってもらい、またその木に生い茂る葉を食べたり体に生やした苔を食べて生きていくのだ。

そして、ワシなどの天敵に狙われたとすると、もがき抗おうとせず、すべての力を抜き受け入れるらしい。

なんとも深い生き方である。

もっともっとナマケモノの魅力はたくさんあるのですが、僕はナマケモノという生物からたくさんの生き方を学んだ。

子供たちにも人の評価など気にせず、自分らしく生きる生き方を選択してほしい。

そして辻さんもそんなナマケモノの生態に魅了されて方の一人であった。

現在は、何をするにも何かを目標に、目的にしてそれに向かってなるべく無駄なく、コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを重視してより早く近くを求められる時代になっている。

時間がもったいない、娯楽の音楽もラジオも、映画も動画も短くまとめられたり、倍速で聞き流したり。

人は無意識のうちに何かに急かされ、人にもそれを求めるようになった。

これが現在の生きづらさの原因の一つなのではないだろうか。

税金のために子供を産めと国が政策をうちだし、生まれた子供は無意識のうちに親からそんな教育を受ける。

何かのために。

もっと子供は何につながるかもわからないようなムダな時間をもっと大切に過ごすべきである。

それは大人も同じ。

ヨーガでは何のためにこの学びがあり、それのために何が自分の役割で、アーサナはそのためにあるべきで。

などなど。

学べば学ぶほど、頭がかたく、視野が狭く、楽しみが義務へと変わってくる人々をたくさん見てきた。

アーサナは聖典を理解するための準備のためにあるべきと教えられた人がアーサナが楽しく無くなってしまったと相談を受けることもある。

もちろんそうだけど、それだけなのか。

もっとムダだと思われるような、自分が本当に好きで没頭できる時間があってもいいのではないだろうか。

僕の生活は街に暮らす人からみたらとてもムダで、時間がかかって、こんな暮らしは街ではできないと言われるようなものだ。

ふらふら何時間も川辺を歩いたり、ひっきりなしにくる来客と1日中お茶をのんでいることだって珍しくない。

なんなら川で水切りをかなり熱心にやっている大人のひとりだとも思う。

あれなんて人生で何の役に立つというのか。

それでも僕は自分のできることを全力でやっている。

人からどう思われるか、どう見られているかなど考えず。

ヨーガを学ぶ人は、人生はヨーガの聖典からしか学べないと思いがちだけど、自然から、周りの人からいくらでも学ぶことはできる。

もっとなまけてもいいんじゃない?

ナマケモノをみてごらんよ。

もっとなまけられる社会が僕もいいと思うし、辻さんにそれを再確認させてもらった。

でも僕は好きだからこれからの自然と未来の子供達のために今日も全力でできることに没頭します。
ムダな時間と共に。

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