ヴィーガンとミツバチ その2

ヴィーガンという言葉は今や珍しい言葉ではなくなった。

一度はみなさんも耳にしたことはあるだろう。

簡単に言えば、生き物をなるべく傷つけないという選択だ。

自分の健康のためというよりかは、自分以外の生き物を傷つけずににできるだけ食物連鎖の下の植物性のものをいただいて生きるというもの。

食生活に目を向けられがちだが、食事だけではなく、ヴィーガンと呼ばれる人々は身につけるものも毛皮や革製品、シルクなども身につけないし、生活用品や化粧品などで動物実験がされているようなものも選ばない。

意外と知られていないのかもしれないが、動物実験の後商品化されている生活用品は少なくない。

よく勘違いされるがヴィーガンは生き物を全く傷つけないという生き方ではない。

自分の選択によりできる限り傷つけないという生き方だ。

僕ら家族もそれなりに長くヴィーガンという生き方をしてきている。

もちろん食事だけではなく、身につけるものも、新たに買うものもその考えをもとに選んでいる。

ただこれだけは言っておきたいのは、僕らはヴィーガンになりたかったわけではない。

自分たちが心地よい選択の結果、それがいわゆるヴィーガンというカテゴリーだったというただそれだけだ。

ヴィーガンを謳いたくて、選択を変えたわけではない。

そんななかなか厳しい食生活だと思われるヴィーガン、実は蜂蜜も食べない。

蜂蜜自体は植物からの蜜だが、それを集めるミツバチが子供を育てるため、冬を越すために集めた蜜を人間が搾取するというのはミツバチを殺していることと同じであり、ミツバチを過酷に労働させているともとられるからだ。

ミツバチの立場からしたら、朝から晩までちょっとずつ集めた蜜が最後の最後に大きな生き物に全部持っていかれ、愛する数千の子供達が殺されてしまうのだ。

たまったもんじゃない。

我が家でも妻がお菓子を作る際はメープルシロップなど植物性のものを使っている。

あまり養蜂業界に詳しくはないが、商売で蜂を育てているところの多くは効率化、生産性を上げるため自然ではない形でミツバチを飼育しているところも多くあるだろう。

前述したように、ミツバチは地球上の生き物の生態系に大きく関わっている生物のひとつである。もちろん生き物全て大きく関わっているのではあるが。

僕らはこの土地に来て6年近く経ち、無農薬で畑や田んぼをしてみたり、山や草花と共に暮らすという生き方を選択することで、だんだんと僕らの住む家の周りの生態系も変わってきた。

風が通ることで、水が流れ、草に覆われて淀んでいたところには今まで咲くことのなかった花が咲くようになったり、たくさんの生物も共存するようになってきた。

ミツバチもそのひとりだ。

田んぼに咲く、たくさんのレンゲの花にたくさんのニホンミツバチが集まるようになった。

何もしなければこのミツバチもだんだんと減っていってしまう。

スズメバチに襲撃されることも多いだろう。
気候変動によってスズメバチも増えてきたという。

そんなこともあって彼らが快適に繁殖できるよう、ミツバチのために家を作ることにした。

ちょっとずつではあるかもしれないけれど、僕がこの山奥で彼らにできることは周辺環境含め、できるだけ彼らが過ごしやすい空間をつくること。

そのお礼に畑の野菜を実らせてくれたり、果樹もたくさん採れるようになるだろう。

幾らかの蜂蜜もいただくことになるだろう。

最後の最後、僕にひっかっかていたのは彼らの集めた蜜をもらうということ。
ミツバチと共に暮らしたいとは思っていても、別に彼らが集めた蜜をあえてもらう理由は特にない。

でも、去年ミツバチと共に暮らす人から

「巣が大きくなりすぎると、暑さや重みで巣が落ちてしまって全滅してしまう。定期的に人の手で助けてあげないと」と。

まさに共存。

近年の温暖化は至る所に影響を及ぼしていることを改めて痛感する。
きっと知らないところで自然のミツバチの巣はたくさん落ちてしまっているのではないかと。

ミツバチに助けられること、人が助けてあげられること。
その助けた際の少しの蜜は家でありがたくいただくということ。

少しでもミツバチがまた増え続けられるように。

できるならば、どこか遠い国で何十年もかけて育った木の蜜より、僕はその方がより自然の循環の中にいると感じたし、ミツバチと共に生活することでもっと自然のリズムに参加させてもらえる気がしてならない。

そんなこんなで息子と巣箱作りにとりかかり、この雨が止んだら彼らの家を設置してあげよう。

ネットで調べれば、ヴィーガンは蜂蜜を食べてはならない。
食べてる人はヴィーガンではない。
だから私は食べない。

そこに”考える”というプロセスはない。

そうではなくて、

もっと視野を広げ、学び、考え、その結果何が本当に循環した調和の取れた選択なのか。
それが僕らの望む生き方だし、できることを一つずつ実行していく。

形はその人それぞれだと思う。
もちろん私利私欲に動かされる動機は別として。

量産される蜂蜜を買うことはないだろうし。

もし定義だけに囚われるくらいなら、たとえヴィーガンと呼ばれなくたって僕は気にしないし、そんな肩書きのためにヴィーガンしていたわけでもない。

一歩さらに地球にできることをした形だと僕は思っている。

今のところ。

もしかしたら実際共に暮らしてみてまた違う考えになるかもしれないけれど。

今のところはより自然と共存できるくらしの一歩だと思っている。

ヨーガの教えも、ヴェーダの教えも、自然界の教えも、なんでもそうだけど、
熟考すると言葉の意味がもっと深くみえてくるんじゃないかなと。

表面的なことにただトライするのもいいけど、その先がいつまでもあるということ。
表面的なところで止まっていたら全体はなかなか見えてこないということ。

大人も子供も常に”考える”ことを楽しめるそんな人が一人でも増えたら、未来はどんどんよくなっていくと僕は信じている。

何より、ミツバチって可愛いんだよな。

楽しみだな〜。

家族が増えてくれるような気持ち。

巣箱を気に入って入ってくれることを願う。

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