ありがたいことに度々オンラインマイソールの開催を望んでくださる声をいただいたことをきっかけに、オンラインについて考えるようになりました。 僕はみなさんが気軽に来れるような場所で指導しているわけでもないですし、頻繁にクラスを開催するわけでもない。 クラスでお伝えすることも、継続しないとなかなか落とし込めないようなこともたくさん。 なのに、継続して見させてもらう場がないことは無責任のようにも感じておりました。 なので、インド帰国を機にオンラインマイソールを開催することにしました。 リトリートヴィレッジに人が来られていたり、その他日々の活動の中でオンラインクラスを開催できるのは不規則な日程になってしまうと思われます。 事前に開催日をお知らせいたしますので、参加できる日にぜひご参加ください。 僕にとってはオンラインクラスは未知の世界ですので、不慣れなことばかりでしょうがまずはやってみなければということで始動してみたいと思います。 よろしくお願いします。 ========================= オンラインマイソールクラスについて 【時間】 AM 5:30〜8:00 ※8:00までに終わっていただければ何時にスタートしてもらっても結構です。 【開催日】 HPのschedule(スケジュールページ)、ブログ、ストーリーズで事前(毎週木曜日予定)に告知いたします。 ご確認ください。 【参加方法】 doniashtanga@gmail.comまでお申し込みメールを以下の項目を記載の上ご連絡ください。 ・お名前 ・最初の参加希望日 ・痛みの有無や箇所 ・最後のアーサナ ・普段指導を受けている先生(任意) ・その他伝えておきたいこと、聞きたいこと(任意) 【料金】 ドネーション制※必ず参加の際はドネーションについての下記のブログをお読みください。https://doniyoga.com/2024/03/23/donation-2/ ご連絡いただいた方へ参加IDをお送りいたします。 どうぞみなさんお気軽にご参加ください。
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ドネーションについて
ヨーガに関する活動を全てドネーションでさせていただいております。 日本における文化ではあまり馴染みがなく、本来インドで受け継がれている認識と大きく違うので改めてドネーションクラスをする意味をここに記させていただきます。 ぜひこちらを読んだ上でクラスにご参加ください。 まず大前提として、ご自身が受け取った経験や知識に対して、ご自身の思う心地の良い金額をお支払いください。 これから記す内容によって、参加しにくくなるなどないようにお願いします。 それを踏まえて、学びの中のドネーションの意味をご一読ください。 日本人の感覚ですと、ドネーションは少額で参加できるクラスと思われたり、寄付はお金をたくさん持っている人がするものと認識されていることが多いようです。 ですが、このヨーガの教えの中では、お金が余っている人だけがするというようなものではありません。 これは学びに対する敬意と人のために一歩踏み出せるかどうか、貢献できるかを自らの意思で決め、選択できるかどうかという、知識を学ぶ上でとても大切な教えの一部だとされています。(ダクシナは学びを完結するために必要不可欠な教えとも言われています。) ダクシナとはヴェーダの教えをされる先生に対するもの。 ドネーションは滞在費や食事代、その他の経験に対する実質的なもの+貢献(その教えが受け継がれるために、より多くの方が触れられるために)と言われています。 我々家族はヴェーダーンタを学び、その教えを元に生活を行なっています。 なるべくその教えに沿った生き方を心掛け、ただそうした暮らしや生き方に触れてもらうという機会をつくっています。 なので、自分のことをヴェーダの先生だとは思っていないので、僕はあまりダクシナという言葉を使うつもりはなく、ドネーションという言葉を使っています。 またドネーションに馴染みがなく、いくら支払えばいいのでしょう?と質問いただきますが、 自分で決めることができない時は、一般的な相場+貢献の気持ちを支払うと良いと言われています。 これは人のために自分がいかに貢献者として喜んでもらえるかという自分の成長のために与えられた機会として考えてもらえればと思います。 それと同時に、もし経済的な理由で学ぶ機会を諦めなければならないというのもあってはならないと言われています。 誰でも学びたい気持ちがあれば受けてもらえたらと思っています。 ですので、ドネーションが自分の気持ちほど払えないとしてもそれは遠慮なくご参加ください。 この教えには金額が多い少ないは全く関係ありません。 その人の立場や学びに対する姿勢なだけですので、お金がなくても学びたいという姿勢を持つ方も同じように学べる機会が用意されています。 多いから特別扱いしたり、少ないからといって何か思うことも受け取る側は全くありません。 最初に記したように、自分が心地のよい金額をご用意ください。 金銭的なドネーションがご用意できない際はお手伝いなどのセーヴァーなどもご相談ください。 教えがより明確になるためにこのような活動を取り入れることにご理解いただければ幸いです。 【ドネーション&ダクシナの使用用途】 みなさまからのドネーション&ダクシナは全てこの教えを学ぶために運営しているヨーガリトリートヴィレッジ(KUO GREEN VILLAGE)での活動費用や現在準備を進めている子供達に健やかに成長してもらうフリースクール(自然スクール キトモリ)の運営、環境保全活動、インドのアシュラムへのドネーションに活用させていただきます。 みなさまからのドネーションにより、次に学ぶ方々やこれからを生きる子供達により良い環境や機会を作れるために100%使用させていただきます。 みなさまのドネーションがどのように形になるか見ていただき、長く応援していただけるような活動を続けていきたいと思います。 みなさんの学びがより深まり豊かな日々となりますように。 どうぞこの学びや自然やこどもたちの未来が健全に受け継がれますように。 生きとし生けるものが皆、幸せで自由でありますように。
今日のインド20240226
RolfとMarciの下での5週間の練習を先週終えました。 毎年、毎年、自分の状況が変わっているので毎年インドの練習で感じさせられること、気付かされることが全然その年によって違うなぁというのが、練習を終えての率直な感想です。 今年も全然違いました。 もちろん、アーサナを練習しに来ているのだけれど、本当にそれはツールにすぎず。 僕は、みなさんがどう思っているかは分かりませんが、自分ではヨーガの指導者という自覚があまりなく。 もちろん指導させていただくことはあるし、その時はその責任をもってその役割を果たさせてもらっていますが、僕の中では環境や子供達の未来を守る活動をする中で、その思いをより多くの方に届けるためのひとつのアクションがヨーガのお話しやクラスというような感覚なのです。 ヨーガを始めてからの最初の約10年はヨーガとは何かを知りたくて、ただひたすらにヨーガの学びに費やした時間だったように思えます。 ですが、今は自分がやりたい活動のためのベースとしてヨーガがあるということに疑いがなく。こうなると日々の学びや練習の見え方がまた大きく変わるわけで。 この数年は特に、ヨーガの学びの意味が自分の中でより明確に、そしてそれを少しずつうまく生活へ溶け込ませられていけるようになってきたように感じます。 もしかしたら、来年以降はインドでの練習よりも日本での時間の方が必要なのかなとかも少し思ってしまうほど。 どうなるかはっきりと答えは出せませんが、またじっくり日本でも学びを継続しつつ、より自分に合った選択と向き合っていきたいと思います。 日本に帰ってまたやりたい活動が山盛りです。これからはコインバトールのアシュラムで勉強会に参加させてもらってきます。 更なる自己成長をもって、これからの活動に役立たせられればと思います。 ぜひとも今、学びを続けている方、また特に指導をされている方。 どこか学んだことをアウトプットすることを頭のどこかに常に置き続けて学んでしまうのか、ただ自分の学びとして消化するのか。 何か知識を増やすために練習し、学ぶのか。それとも、より余計なものを削ぎ落とすために練習し、学ぶのか。 ぜひ自分自身の理解のために。 自分はできている、あの人は出来ていない。と人にばかり指を向けるのではなく、 自分はどうだろう。と常に自分に人差し指を向けて観察できるための練習でありたいものですね。 僕の伝えたいことは長年あまり変わらないように思いますが、今年もまたたくさんの学びをいただいたインドでの練習となりました。 これからの環境や子供達に反映できるよう、時間をかけて消化していきたいと思います。
複雑なアーサナを取り組むことで見えた世界
ナマステ。 今年も師との練習が始まり4週間が終わりました。 4週目に入った頃でしょうか、段々と身体や精神の感覚が研ぎ澄まされ、細部までの情報が徐々に見えて感じられるように戻ってきたように思えます。 別に難易度が高いアーサナを取ることが大切でもないし、必須でもない。 そこに痛みや怪我があってはもってのほか。 いつも言うようにアーサナはヒーリングであり、ネガティブはゼロでなければならない。 それを大前提としてここでは練習が進められるのですが、 徐々に微細なエネルギーに目を向けられるように戻ってきたこともあり、 今までで一番困難であり、そして危険だとも思えるアーサナと向き合っております。 危険なことをヨーガでやる必要あるの?と思うかもしれません。必要ないと思う人は、必要ないでしょう。 もちろんそれが本当に危険であってはならないですし、 それに向き合った人は、向き合った人にしか見えない世界があるのも確か。 どちらも正解だと思いますけどね。 もし少しでも身体を痛めそうであれば絶対に僕は無理はせずそこでやめてきました。 ただ、今週最後のマイソールクラス。 困難なアーサナと向き合っている最中、 今までの練習で培ってきた身体の知識、心の扱い方、全身のエネルギーを丁寧に観察している状態。 さまざまな過去の練習の集大成がその一瞬一瞬の点である瞬間に集め、困難なアーサナを探りながら深めるという、久しぶりにいわゆるゾーンのような感覚の中でアーサナを取り組む自分がいました。 あの状態は闇雲にアーサナを深めるだけにフォーカスしていては見えない世界だと僕はいつも思っていて、穏やかでありながらとてもエッジの効いた山の尾根に立っているかのような。 命の危機を感じながら登った山や、命の危険を感じながらテイクオフしたサーフィン。 まさにその時と同じような感覚。 だけれども心は穏やか。というよりはもはやそこに”ある”けれど”ない”ような感覚。 まぁそんな感覚的なことはさておき。 何が言いたいかというと、 今までの練習での知識や自身の扱い方の集大成が、間違いなくそこに集約されていて、いかにそれを信じれるかということが試されているかのようでした。 もちろん、それまでの知識や身体の理解が間違っていれば間違いなく怪我をしますし、それに向き合わなければ、その形には成り得ないし。 そしてそのあるべきアーサナの形まで持っていけた時、アーサナの形がとれたーという感覚ではなく、自分を信じれた強さと、それにより消えた恐怖心であったり疑う心であったり、信じたものが割と間違っていなかったのかもという今までの学びに対する敬意であったり。 ひとつのアーサナと向き合うことで、その一瞬にはたくさんの感覚が繊細に張り巡らされていました。 とても新鮮な気づきだったので、練習が終わってからこうして言葉としてシェアしようと思ったのですが、2日経って書いている今、もうその感覚は段々と薄れ、言葉にもうまくできなくなってきています。 結局はそんな感覚的なことは重要じゃないのでしょうね。 そんな感覚はただの道の途中の小さな出来事に過ぎず。 そんな感覚を追い求めず、いままで通りみなさんも練習していきましょう。 そうしていれば、たまにこうしたサプライズ的なイベントが起こったりするのでしょうね。 何はともあれ、今日もいつもと変わらぬ1日を過ごしております。 Om
今日のインド20240217
然大がインドの幼稚園に行ってくれるようになって、毎日のスケジュールが大幅に変わりました。 こちらでの今の大体のスケジュールは 4:00 起床4:30〜 自宅でアイアンガーヨーガプラクティス(約1時間半〜2時間)7:00 シャラでマイソール開始9:00 然大を幼稚園に送る(送る間にココナッツ飲みたいというのでココナッツタイム)9:45 シャラに戻ってきて練習再開(再び太陽礼拝などでココナッツとバイクで冷えた身体を温め直す)11:40 マイソールクラス終了12:30 軽食13:00 シャワー&洗濯13:30 ベッドに倒れ込む&デスクワーク14:45 然大お迎え15:00〜 然大の遊び相手(プールなど)16:30 夕食17:00〜 然大の遊び相手(海など)19:00 寝かしつけの準備21:00 然大寝る21:05 再びベッドに倒れ込む 4:00 再び朝がやってくる 然大が幼稚園に行ってくれるようになり、時間を気にせずかなり練習に集中できる環境になってくれたため、動かなくなった身体を少しずつ丁寧に見つめられるようになってきました。 久しぶりに全力で練習に打ち込んでいるので、帰宅した時にはエネルギーを使い果たしている状態です。帰宅時のエネルギーはもうゼロです。 ここにはヨーガを練習しにきているので、できるならばエネルギーの全てをそこへ注ぎ込みたいと思って練習しています。 ただ、子供を1日相手している方がエネルギーが必要なので、そのエネルギーを朝の練習で拡大してもらっている感じでもありますね。 少しの急速で体力を回復させ、午後はまた子供と全力で向き合っています。 波があった時は朝食も休息も取らず、その時間を海へ。波があった1週間はもうぶっ倒れるくらいヘトヘトになるまで体力使い切りました。 練習→サーフィン→然大とプール→然大と海 みたいなルーティーン。 やりたい仕事が全く進まない毎日です。今日から少しずつ仕事していきます。 帰国後、環境アクションいろいろ起こしていきますね!
執着なのか、意欲なのか。
ナマステ。 ここ数年、色々な場面で、はて?それは本当にそういうことなのだろうか?と考えさせられる場面がよくあります。 一見それは正しいようで、そのように着地していいのかなと思うことが多々あるのです。 思いつきで例えをあげるのであれば、 ・子供がいるからアシュタンガの練習はほどほどにできる範囲で。やりたい気持ちに囚われず、今すべき役割をしっかり認識しましょう。 とか ・ヨーガはアーサナではない。練習はするけれど、アーサナに囚われず、先へ進むことを求めず、できる範囲のことをやりましょう。 とか ・勉強はしたいけれど、今は家庭があってそんな時間を作れないから聖典と向き合うことは置いています。子育てこそが学びなのでそれで十分です。 とか ざっと頭に浮かんだのはヨーガのこととか、自分でもこの数年自問自答してきたこととかですが、ヨーガだけに限らず、様々なシチュエーションで起こっている思考のパターンなのかなとも。 少しネガティブにいうのであれば、「しょうがないよね。だって〜だから。」という言葉で片付けてしまいがちなシチュエーション。 僕はしょうがないという考えは好きではないので、本当にその選択以外の選択がないのであれば、そりゃこうあるべきだよなと理解しますが、それに至るまでにすべての可能性を模索するくらいの気持ちで生きています。 上で言ったような例えは正しいと思うし、そうあるべきだとも思っています。でもその形は一つじゃないのかなと。 その時その時で常に形は変わるはず。 数年前、数週間前はそれがベストの選択だったかもしれませんが、果たして時間が経過した今も同じなのでしょうか? ヨーガをしていると執着を手放すことが大切なことをみんな知っているし、そうあるべきです。 でもその考えの時、「執着」と「意欲」を混同してしまって同時に手放してしまっていないでしょうか? 執着は手放すべきです。でも、意欲は手放してはなりません。 一緒に意欲を手放してしまって、ただ今を受け入れたように思って。 でもその”今”はいずれかつての”今”となるわけで。 常に”今”を受け入れるには意欲を失わず、常に持ち続けるってことが大切なのかなと。 僕は隙あらばあらゆるチャンスを狙いまくって自分にできることを徹底的にやりたいと思っております。 なので、練習も執着はしていないけど、隙あらば全力で取り組めるチャンスをこのインドでも虎視眈々と狙っています。 もちろん社会や環境に対して自分が貢献できることも。 やりたいことは全部やった方がいい。今世でできないことはあるかもしれないけれど。 でも、まだ全部できる可能性を信じて。 その時を待つのではなく、その時を逃さぬよう狙っている。 何年後か、何十年後かわからないけれど。 それでもできないことは、自分にとってない方がよかったってことですよね。 もう一度、執着と共に意欲を手放してはないか、ゴミ箱を漁って見返してみてもいいかもしれないですね。
今日のインド20240201
こちらでの練習はここ数年少人数でのクラスとなり、かつてとは変わってAM7:00からの練習になっています。 ということは、その時間には既に然大は起きているわけで。 練習時間内で妻と代わる代わるの練習をしています。 じっくり練習したい気持ちはあるものの、なかなかそうはいかず。 それでも、4年のブランクの中(ブランク?)みっちりしごかれております。 注意されることは頭では分かるけれど、身体が動いてくれない。 むしろこれだけ練習していないのに、こんなに練習できていること自体驚きです。身体ってすごいなぁ。 そして、かつては本当によう身体動いていたなぁと我ながら感心します。 またさらに理解を深めるため、よりクリアな状態であれるため、あと3週間もっと使いこなせるように戻していければと思います。 来週はバックベンドまで練習できたらいいなぁ。 妻と代わった後は然大とドライブして、美味しい朝ごはんや探し。 だんだん気温も上がってきて、練習後のココナッツが美味しい時期になってきました。 それでもまだ汗全然かかないですけど。 汗が噴き出る練習も一度くらいはしたいな。 それでも家族との時間がなにより。 すっかりインド慣れしてきている然大の旅はまだまだ続く。
今日のインド20240129
僕にとってのインドでの練習は今年で10回目だろうか。 コロナの間来れなかったこともあり12年前から通っていることになる。 かつては年の半分をインドで過ごしていた。 たびたび、「よし、”今日のインド”を今年は書こう!」というシーズンがあるのだが、 毎回思うのは、これだけインドで生活していると毎日が普通の日常すぎて、なんなら日本での生活の方が日々の変化が富んでいて。 毎日書くことなんてないなぁと思ってしまうのです。 きっと毎日書くことはできるのだろうけど、ただの子育て父ちゃんの奮闘記にしかならないと思うのです。 今年もいざ始めてみて早くもそう思っている次第でございます。 父ちゃん奮闘記で言えば、然大をインドの幼稚園に試しに連れて行ったら、それまで絶対に行かない!と言っていたのだけれど、楽しかったようで、毎日行くと張り切って行ってくれるようになったこと。 僕らは基本的にはほぼ毎日家で子供をみているので、インドの旅ももう早朝から夜までフルパワーに付き合うのに疲れ切っていてヘトヘトだったのですが、この幼稚園モードになってくれたことは神様から与えられたgraceかのごとく、僕ら夫婦の疲れ切った視界をスパーン!と光り輝くものにしてくれたようでした。笑 然大も色々な国の子と関われるし、英語にも慣れるかもだし、なにより子供同士の時間が楽しめることはどこにいてもありがたいことですよね。 心の中でよっしゃー!とかなり強めのガッツポーズをしました。 練習中はまだなかなか静かに待っていられないから、今年も僕か妻が変わるがわる相手をしながらという、全く集中できない中で練習をしています。 それでもこうして家族で迎え入れてくれる先生方と、その状況を受け入れてくれるシャラの練習生の方々に感謝でしかありません。 昨日は然大が体調を崩したこともあって、今日は然大と母ちゃんはお留守番。 滞在中の数少ない、集中した練習を今日はさせてもらいました。 この滞在中あとどれだけ集中した練習やフルプラクティスができるかなぁ…。 それもまたそんな日が数日あるだけで、僕らにとってはちょっとしたご褒美時間。 無くてもまた、家族でインドに来れているだけで素晴らしきこと。 すべてに感謝して、今年の練習を楽しんで帰ります。 そうそう、毎日更新はきっとしないけど、それでも気づいたことや日々のこと、今まで通りなるべく小まめにあげていきたいと思います。
今日のインド20240125
突然、家でのネットが繋がらなくなったのでしばらく更新できませんでした。 いよいよ今週から練習が始まりました。 シャラへ子連れでの練習になるので、いろいろ気が散ってまだ練習と言えるような練習はできそうにありませんが、それでも今年も師のもとで練習できるというそれだけで十分な時間を味わっております。 今日のムーンデイにはプラーナーヤーマ。 5週間という限られた時間。じっくりと丁寧に噛み締めて、アーサナを練習する目的をしっかり見つめていきたいと思います。 日本でもインドでも明け方の時間はやっぱりクリアでいいなぁ。
今日のインド20240120
日本でもそうだけれど、僕はできるだけ家族や子供との時間を大切に生活している。 一番は家族との時間。仕事や自分のことはその隙間で全力で。 子供が起きる前や寝てから仕事に向き合ったり。 でも、隙間だけではもうどうにもならなくなったり、子供の体力に毎日14時間くらい付き合っていると毎日本当にヘロヘロなこの4年間。 朝の練習よりも、やはり睡眠が優先されたり、仕事が全然進まなかったり。(僕の仕事はヨーガのクラスというよりかは、リトリートヴィレッジの建設や運営、これからの教育現場の準備などなど。) インドにいる間にやっておきたい仕事が盛り沢山。やりたいことだからウズウズしている感じですが。 子育てしているからと、ヨーガの学びや練習を減らしてきた4年間でしたが、もっといいバランスが作れそうな気がしている今日この頃。 それがきっと家族や周りの環境や僕自身にもきっといい形になるはず。 子育て中だからと少し距離を置いていた事柄を改めていい距離感に構築していくインドの旅にできたらなと。 そんなバランスを明日からの練習を通してまた見つめ直していきたいと思います。 今に満足し、でも慢心せず、常に最高のバランスを模索し続けながら。 人生は本当に学びの連続だなぁとつくづく思うのです。 とは言ってもいつまでも家族ファーストは変わりないですけどね。