日本の祈り〜轟の滝〜

インドより、新年あけましておめでとうございます。 私は3年続けてのインドでの新年を迎えることとなりました。 こうしてインドで学びたい学びを存分に学べ、 その恩恵に明らかに包まれている日々の生活を送り続けられていること本当にありがたく思います。 こうしてヨーガやヴェーダ、インドに出会えたことに敬意と感謝を込め、 私は今日もヨーガやヴェーダとともにインドで過ごしています。 昨年、11月11日。 徳島県の小さな町、海陽町の山の奥。 轟の滝で毎年恒例の轟神社の秋祭りが行われておりました。 私がまだ関西を拠点に旅を続けていた頃、この海陽町に出会い、 そして、まだ訪れて間もない頃、この轟の祭のことを知りました。 今では、日本各地で徳島や海陽町、藍やサーフィンの魅力を伝え、ちょっと有名人となってしまった、海陽町のローカルサーファー永原レキ氏。 彼との最初の出会いはこの轟の祭の前日でした。 そして、出会って間もない彼は私をこの祭りへと招待してくれたのです。 この轟の祭とは。 山の奥地に生まれた四国最大の滝、轟の滝。 その滝に向かい、選ばれし男たちは極寒の川に一枚の布すらも纒わず、飛び込み身を清める。 その禊は、夜中も早朝も2時間おきに行われ、その回数は10回近くに渡る。 秋とはいえど、山奥の川の水は足をつけるだけでも気がひける程冷たく、 飛び込めば、心臓が押し潰されるような感覚が襲ってくる。 大声で叫ばなくては、自然の圧倒的な力にあっとゆう間に飲まれてしまう。 ただ、身体を川に沈めるだけでなく、僕らが目指すは滝壺、そして、その先の滝の裏側。 巨大な滝からのものすごい量の水が押し寄せる中、流れに逆らいひたすら泳ぎ、滝を目指す。 これはどこか瞑想的で、禊を重ねるごとにその自己との対話はより深いところへと向かう。 一回の禊でどのくらいの時間水に浸かっているのかは分からない。 ただそれはとても長いような、でも時が止まっているかのような。 不思議な時間だ。 この滝には女性の神様が宿っている。 そのため、川には女人禁制、男たちは裸になり身を神に捧げる。 この禊は本当に自然との関わりを教えてくれる。 宇宙の摂理。私という存在。 山に雨が降り、滝となり、川を流れ、海へと繋がる。 太陽がまた雲を作り、雨が降る。 僕らはこの川の恩恵を受け、生き物が生き、そこに育つ食物をいただいている。 サーファーにとっては、轟の滝が生む海部川は特別で、海部川の河口は世界中のサーファーを魅了する波が立つ。 この海部の河口に憧れて移住してくるサーファーも多く、 轟の祭りに参加した仲間の中にもこの海部を愛する人たちがたくさんいる。 自然の近くで生活する僕らだからこそ、この祭りはとても馴染み深く、 この地で生活する人々にとってはとても祈り深い祭りなのである。 神輿を担ぐ時間が近づくにつれ、多くのこの町に住む老若男女はこの山奥へやってくる。 それぞれの祈りのために。 幾度となく繰り返された禊の後は、白装束を纏い、神様を乗せた神輿を担ぎ、滝壺へ向かう。 神輿の重さは単なる物質だけの重さだけではないような、今まで経験したことのないような重みで、 この神輿を担ぎ、滝まで向かう道中、叫び、涙が溢れてきた。 この涙の意味は今となっては明確にははわからないけれど、 きっとそれは嬉しさと、感謝と、喜びと、この土地に生きる全ての代表として、神輿を担がせてもらったからなのだろうか。 神輿を担いでの滝壺は、御神体である神輿を川の岩にぶつけないように必死に守ることで寒さなど感じる余裕などなかった。 男たちは必死に神輿を守り、履いている草鞋も白装束もボロボロになりながら叫び、また神社へと戻ってくる。 田舎に受け継がれた、ひとつの祈りのはなし。 僕はよく、インドは祈り深い国だという話をする。 インド人は常に祈りとともにある。 ただ、日本でも祈りの文化はまだまだたくさん残っているに違いない。 祈ることの意味が少しづつクリアになってきたならば、どこででも祈ることはできるし、 生活の全てが祈りともなり得る。 僕は日本でも祈り深き人とともに生活させてもらっています。…

インドに来て、見て欲しいこと。

ナマステ。 みなさま、日本の冬いかがお過ごしでしょうか。 私は相変わらずインドにやってきています。 半分日本、半分インド。 今シーズンもそんなインドでの6ヶ月の生活が2週間前から始まりました。 こんな半々生活も今回で4年目。 それまでも年の約1/3はインドで生活という、何に魅了されているのか、日本のどの土地よりもインドで生活すること、学ぶことを大切に今年もやってくることができました。 そんな今シーズンのインドでは、以前より、いつかできればと思い描いていたインドでのリトリートを来年の2月に開催させていただくこととなりました。 北インドのハリドワールとリシケーシュという聖地に訪れます。(※詳細は下の方で。) この、インドでのリトリートには、並並ならぬ私の強い想いを込めさせていただきました。 少しだけそんな想いを聞いてもらえたらと思います。 私がこうして毎年やってくるインドには何があるのか、そして何を見てきたのか。 これまで日本でたくさんインドの話をしてきました。 インドで学んだことをたくさんの人に伝えさせてもらってもきました。 できる限り、インドで感じたことをそのままに。 でもやはり、そこでは伝えきれないことももちろんたくさんあるのです。 ここにしかない、音や匂い、ここに住む人やこの土地の空気。 こうしてインドに帰ってくると、やはり帰ってきたなぁという感覚になります。 きっと、目を閉じていてもそこがインドだとわかるような。 なんだか独特な空気感が。   インドでしか聞かない鳥や動物の声。 人の声も、街の騒音も。 朝のひんやりした空気と、そこに響く祈りの歌も。 話で聞く何倍も楽しく、美しい世界がここにはあります。   色々な方からインドにいつかは行ってみたいと、声をかけてもらうこともたくさんありました。 できれば皆さんに来て欲しいと思っていますし、その人にとって必ず一番いいタイミングがやってくるとも思っています。 なぜ、そこまでインドに来て欲しいのか。 ヨーガはどこででもできると、言われるかもしれません。 もちろんどこででもできるとも思います。 ただ、ここでしか知れないこともたくさんあります。   人は体験していないことは、いくら頭で考えても想像できません。 いくら本を読んでも、インド人から話を聞いても、毎日カレーを食べても、インドのことはわかりません。 私はこのインドでしか見ること、触れることのできない世界をより多くのヨーガを学ぶ人に触れてもらいたいと思っています。 もし、旅が好きで、一人であったり仲間たちと来れる方はぜひ、いつかこの地を訪れてみてください。 もし、一人で来ることが不安な方、なかなか一歩が踏み出せなかった方。 もしそんな方がいたら、こうしたリトリートを活用してみてください。 今回のリトリートでなくても、同じ想いで素敵なリトリートを開催している仲間もいます。   汚い、うるさい、怖い。 もちろんそれもインドです。 たくさんあります。 むしろ日本に比べればそんなところばかりかもしれない。 もちろん、気を抜くと危ないことだってたくさんあります。 最後の一歩が踏み出せない気持ちもよく分かります。   私はありがたいことに、インドで長く時間を過ごしてきました。 こうして、誰もが毎年インドに通い続けることができるものではないことも分かっています。 だからこそ、もしそのチャンスが一度しかないかもしれないのならば、その一度のインドでたくさんの体験をしてもらいたい。 一度のインドで、美しく、いいところばかり見れる人もいるかもしれないけれど、 それに触れられず、大嫌いになってしまうことだってあるのがインド。 汚い、うるさい、怖い。その中にある本当の輝きを見ることができぬまま。 今回のリトリートは短い6日間という時間ではありますが、これまで私が見てきたインドという世界のなかで、ぜひ見て、聞いて、感じてもらいたいところを出来る限り詰め込みました。…

今日のニッポン20180511

Aloha Death 旅を娯楽だとゆう視点から見ればインドに行くことは遊びでしかすぎない。サーフィンは趣味だとゆう視点から見ている人からすれば海へ行くことも遊びでしかない。 インドで本当に学んだことがある人ならば、インドでの学びの大きさを知っている。 サーフィンによって様々な叡智の恩恵を受けている人ならば、またそれもその偉大さを知っている。 ヨーガや禅、瞑想はその叡智に触れるためのツールだと人は疑わないのに、どうしてサーフィンやそのほかの楽しいとされることは、そのように理解されにくいのであろうか。 インドへ行くことも、海へ行くことも同じ。 僕らはそこへ学びに行くのです。 それは経験したことがある人からすれば疑いようのない事実。 サーフィンをする人は口を揃えて言う。 これはヨーガや禅と同じ世界だと。 サーフィンは僕の知る限り、ヨーガと同じくらい、この宇宙の摂理を知ることができるツール。 偉大なサーファー達が語るサーフィンを通して見た宇宙観。 サーフィンはただの遊びではない。 この宇宙を最も感じることのできる遊びのひとつである。 ヨーガの生徒さんが貸してくれた”Aloha Death”のDVD。 サーフィンをする人もしない人もぜひ機会があれば見てみてください。

2018年の楽しみ方。

2つの重要なお知らせ!! 今年もおもしろいことたくさんやります!! インドでのヨーガの学びも残り2ヶ月弱となりました。 明日からはネパールへと一度飛び立ちます。 そしてまたインドに戻り、4月末頃帰国します! ★お知らせ その1 〜〜 帰国後は徳島に移住。そして、オーガニックヨガビレッジづくりへ 〜〜 場所は徳島県のとある限界集落。 日本をいろいろ旅して見つけた桃源郷。 僕の伝えたいヨーガのために、僕は隠居します。 ★お知らせ その2 〜〜 帰国後のスケジュール 〜〜 村づくりが待っているので、クラスほとんどしません。笑 なので、みなさん是非少ない機会になりますが、ご興味ある方はぜひ予定だけでも空けておいてください。 数が少ない分、とても濃厚なクラスをさせていただく予定です。 ぜひ学びを深めたい方お待ちしております。 詳細、予約開始などは後日公開までお待ち下さい。 【お知らせ その1】 約7年。 自分の家を持たずに与えていただいたスペースで生活させてもらっていましたが、今回の帰国後は久しぶりに自分の家という形で拠点を持ちたいと思います。 まだどのようになるかわかりませんが、仲間たちと力を合わせ僕の伝えたいヨーガを生き方として作り上げていけたらなと。 場所は徳島県のとある限界集落。 仲間がすでにオーガニックビレッジを目指し昨年夏より活動中。 徳島市内からでも約2時間半かかる不便な場所ですが、そこにあるのは満ち満ちた豊かさ。 そこに加わり生活の中からヨーガを学べる場所を作りたいと思っています。 まずは自分の住む家を自分たちの手で改装からとなりますが、のんびりと気長に。 ぜひ、みなさんの力貸してもらえるときは遊びに来てください。 一仕事した後は、海でサーフィンしましょ! 村づくり手伝ってもらいながら、来てくれた方は朝みんなでお礼という形でマイソールクラスなんてのもいいですね。 まだどうなるかは本当にわかりませんが、来てもらえそうならばまたお知らせさせてもらいます。 村づくりの様子はブログで見てもらえるようにしようかなとも。 ぜひ、応援よろしくお願いします!     【お知らせ その2】 帰国後のスケジュールです! ぜひ、気になるスケジュールがある方は予定を空けておいてください。 詳細が決まり次第、情報を掲載いたします。 ●Mysore Tokushima @とよとみ珈琲(徳島) 2018年5月から場所をとよとみ珈琲に移してマイソールクラスを開催します。 毎月1日から14日の2週間限定クラス。(日程が変更する月は事前にお知らせいたします。) 練習後はとよとみ珈琲でモーニングしながらヨガ談義を楽しんでみてはいかがでしょう。 《時間》 AM5:30〜8:45 《休み》水曜日、ムーンデイ(新月・満月)…

Living Yoga

ヨーガとは生き方。 アーサナを毎日する生き方。 アーサナに加えてプラーナーヤーマを取り入れた生活。 ベジタリアン、ヴィーガンな食生活。 職業はヨガの先生。 毎日、瞑想しています。 僕の想うヨーガとはこれらのことではない。 これらを通って現れた生き方がヨーガなだけで。 これらはただのヨーガへの道にすぎない。 上のような生活を全てしていようがヨーガにならない人もたくさんいるだろう。 たとえアーサナ、プラーナーヤーマ、瞑想をしていなくても僕の周りにはたくさんのヨーギーがいる。 彼らはアーサナをせずとも、ヤマ・ニヤマを知り、共に自然とその生き方を選んでいる。 ヨーギーになるために、ヨーガがあるのではない。 ヨーガな生き方をおくるものがヨーギーなのだ。 いまやいろいろなヨガがあるけれど、すべてはヨーガになりうるし、全然ヨーガではない可能性だってある。 ヨーガとは生き方。 マットの上に立つ生活のことではない。

今年もHappyな一年に。

みなさん、新年明けましておめでとうございます。 僕は相変わらずインドで年末感も新年感も全くなく、いつも通りカレーを食べてヨーガをしています。 2018年も帰国後、多くの方とまたヨーガを学び合えること楽しみにしております。 今年もみなさんはいろいろなところでいろいろな学びをされるのでしょう。 学びの理由もまたそれぞれ。 ぜひみなさんにとって実り多き一年であること願っております。 こうして、半年間もインドに滞在しながらヨーガの学びを深めていると、時折なぜヨーガを学んでいるのかと改めて考えることもしばしば。 それは、ヨーガを始めた頃の理由とも違うし、1年前の理由とも少し違う気もする。 日々、これは形を変えている。というよりも、より明確な理由へと形を変えている。 そんな気がします。 アーサナを学ぶ意味、聖典を学ぶ意味、毎日プージャをする意味。 今の僕にとっては一体理由はなんなのか、じっくりと時間をかけて見つめていきたいと思います。 言葉にすること、明確な答えを出すことが必要かどうかはよく分かりません。 逆にあたまでそんなこと考えない方がいいのかもしれないけど、それが自分で少し分かった時、また理解が少し深まる気がしたので、日々の生活は変わらないけれど、普段の生活からまたそんなことも考えて生活してみることにします。 みなさんも気が向いたらなぜヨーガを学んでいるのか。 ちょっと考えてみると気づいていなかった何かに気づくかもしれませんね。 こうして日本やインドで世界中のヨーギーと出会うとこれまた面白い。 同じように見える理由であっても、実は全く違った感情が働いていることもよく見かける。 ヨーガを教えたいから、資格を取りたいから学ぶ。 何のために学ぶのか。 同じティーチャートレーニング( TT)を受け、資格や修了証を取得することでも、ただプローフィールに載せるために資格をたくさん集め、満足してしまうのか。はたまた純粋に知識や自分の理解をより深めることで生徒さんに伝えやすくしたいのか。 よくTTって何なのさ談義もされるが、僕は正直どちらでもいいと思っている。 より短期間の間で広い知識に触れることはできるのだろうから、多くのメリットは間違いなくあるだろう。 ただ、素直な意見を言うならば、修了証にはさほど意味はないんじゃないかとは思っている。 いくら修了証を持ち合わせていようが、その人の姿形は何も僕には見ることができない。 もし共にヨーガを伝えあう機会があるなら、僕は修了証ではなくそに人の生き方を優先するだろう。 200時間や500時間。 ましてや1日の数時間でもらえてしまう修了証も今はあるくらい。 その修了証がどんな想いで、どんな意味を持っているのか、僕は知らないので、それをどうこう言いたいわけではなく、それを受講する側は、ぜひそのクラスをなぜ受けるのか。 その理由がステータスや見栄のためではないならばきっと、そのクラスは素晴らしい時間となることでしょう。 別に資格や修了証を手にした瞬間、先生になれるわけではないし、その紙がその人を輝かせるわけでもない。 そこで学んだ知識が自分のものとなった時、その人を輝かせるのだろう。 きっと先生ってのは目の前にいる人が、自分のことを生徒だと思うならば、その瞬間はそのヨーガを伝える人は先生である。それが僕の思う先生の形だ。 ただ自分のものとなった少しの知識を伝えるだけでも、十分人に幸せを伝えることができるだろう。 一度聞いたからといって、自分のものになるわけがない。 何千時間、学び続けてても、自分のものにならないことだらけだ。 このインドでの生活では毎日毎日、単純にマットの上で身体や心、座ったり聖典と向き合ってる時間だけでも大体毎日6時間以上ある。 それでも一日に自分のものとなった知識はあったのかなかったのか。 僕はそんなもんだ。 外から飾るのではなく、内側を輝かせないと。 TTも修了証がどうこうではなく、ただそれを学ぶ姿勢が大切なんじゃないだろうか。 TTや修了証はよくこういったいわゆるTTってなんなのさ談義に持ち上げられやすいが、それはTTや修了証に限ったことではない。 アシュターンガヨーガでの伝統の教えでは、TTはない。 なので多くのアシュタンギーはTTの取得ではなく、日々の練習に励む。 でも、ここでも同じようなことは起きるのだ。 時として、日々の練習もアーサナをもらうことを目的としてしまったり、どこのアーサナまで終わらせることがステータスのようになってしまったり、はたまた世界中から練習生が集まるインド・マイソールではどれだけ早くオーソライズド(正式指導資格)されるかを競うような人もいるくらい。 でも、新しいアーサナが欲しいと言うのが悪いわけでもないし、オーソライズドを取得したいと思うことだってなに一つ悪いことではない。 同じ目的でも、理由は様々。 アーサナ欲はきっと自分の体の理解を深めるだろうし、オーソライズドにより、多くの人に正しい知識を伝えることも可能となるだろう。 これまた学ぶものの姿勢次第。 資格、修了証、アーサナ。 そして師もしかり。 僕はなにも持っていないけれど、唯一、人に自分のヨーガの源を説明するときには、プロフィールにも載せている、Rolf&Marciの名前を出す。 僕は今ここインドで教えを受けているRolfとMarciのことを心から自分の師だと仰いでいる。…

マットの上に立つ前に。

Namaste.   と言いつつも、僕は今スリランカにいます。   7年目のインドにして初めて見るVISAの文言。 EACH STAY NOT TO EXCEED 90 DAYS.   インドvisa取得者の一部のvisaにはこの一文が追加されており、 要はインドに90日を超えた滞在ができないということ。   旅の途中で知り合った人にこのことを教えてもらい、 急遽、今回の旅の予定が変わったのである。   12月中旬から2月上旬までのゴアでの練習。 2月下旬に開催されるヴェーダーンタの勉強会。   そのことを考えると今のうちに一度インド国外に出ておかなければならない。   クアラルンプールに行くのか、スリランカに行くのか、ネパールに行くのか。 南インドからだとどこもさほど値段は変わらない。 なのであればサーフィンのできるスリランカへということで、今スリランカにいます。   今シーズンも半年丸々インドで勉強する予定なので、今出てしまうと3月あたまにもう一度出国する必要があります。 なので3月はネパールへ。   予想外の移動によりいろいろと予定が変わってしまったけれど、インドのことなのでもういちいち気にしていてもしょうがない。 楽しむことにしましょう。   そう。 このスリランカが終わり、インドに戻ってから少しの間Adi Shankaracharyaを巡る旅をしたら、今年もゴアでの練習が再開されます。   12月あたまからはインド・マイソールのシャラもオープンとなり日本全国、世界各国の同志たちがインドで練習を始めました。   きっと今頃、素晴らしい空間での練習を彼らは楽しんでいることでしょう。   そして毎日たくさんの学びや知識をマットの上に立つことで学んでいることでしょう。   もちろんマットの上で学んだことが、普段の生活に使われなければ意味はないけれど、今日は毎日立つこのマットにどのように僕らが向かい合っているかをちょっと書き記したいと思う。   きっとインドにわざわざ毎年来て練習する彼らも、日本で練習する多くの方もきっと似た想いだと思うけれど。 僕なりのマットへの向き合い方を少しだけ。     僕はヨーガを始めたばかりの人や、アシュターンガヨーガを続けたい人にはまず、無理なく気持ちのいい範囲で練習すればいいと言う。 それが太陽礼拝1回でもいい。 そうすると、どんどん朝のヨーガの時間が他の時間より大切になって、気づけばマットの上に立つことが当たり前となる。 1回だったものが5回になる。 嫌嫌、決めた時間をやるより、その日の体調はみんな違うし、スケジュールもみんな違う。…

2017年の感謝を込めて。

Namaste みなさん、ご無沙汰しております。 4月のインド帰国から約半年間。 おかげさまで日本各地、本当にたくさんのところを周らせていただきました。 旅、自然からヨーガを学び、旅と自然を通して僕なりのヨーガというライフスタイルを伝える。 そんな想いで楽しませてもらった半年でした。 僕はまたインドに戻ってきて、早くも2週間以上が経ちました。 現在は南インドを中心にテンプルを回りながらヨーガとは一体なんなのか。 を、学んでいます。 今回のインドも半年。帰国は来年の4月下旬ごろを予定しています。 いつもインドの旅が終わる時には、その旅が始まった時には想像もできなかった様々な経験と学びで溢れている。 その時の伝えたいことを、その時の伝えたい方法で。 それがヨーガなのか、そうでないのか分からないけれど。 きっとヨーガなのだろうけど、まだ先のこと。 まだまだ帰国後のことは一切わからないけれど、また日本で素敵な時間を共有できることを楽しみにしています。 また来年に入ってから、順次決まったスケジュールをアップしていこうと思います。 もしクラスのお誘いがありましたら、メールにてご連絡ください。 お待ちしております。 来年も楽しくて、学び深いこと。この半年の間でたくさん考えておきます! それでは少し早いですが、2017年各地でクラスをさせていただいた感謝を込めて。 お声かけいただいた、各地の皆様。クラスに参加してくださった皆様。 本当に楽しく、様々な学びと出会いをありがとうござました。 みなさんの日々が輝きに満ち溢れていますように。 インドより祈りを込めて。 また多くのことを学び、日々楽しんで帰国したいと思います。 Om ※写真は10月に屋久島でさせていただいた9日間に渡るリトリートの様子。 来年もまた屋久島でリトリートできますように。 いつも素敵な写真をありがとうございます。 Photo by Kentaro Hisadomi

Mountain&Ocean 〜山のリトリート、海のリトリート〜

今年の日本では日本各地の様々なスタジオさんでヨガをさせてもらっていますが、スタジオだけではなく、お寺や神社でさせていただく機会もいただき、なおかつ宿泊しながらみっちりと僕の伝たい想いを伝えさせてもらえるリトリートという機会もいただいております。   この夏では、高野山という山でのリトリートと 城満寺という海でのリトリートをさせてもらいます。   【山のリトリート】 7月15日〜7月17日の和歌山県・高野山 http://biotope-yoga.com/iventws/高野山リトリート2017-with-doni.html https://www.facebook.com/biotopeyogastudio/?fref=ts   【海のリトリート】 8月18日〜8月21日の徳島県・城満寺 https://www.facebook.com/rustictravelyoga/posts/1148193915326552       僕はAshtanga Yoga Mountain&Oceanとゆう名前で活動をしている。   僕はただの自然好きみたいなものですが、 これはただ自然が好きな野生児という意味ではなく、 僕のヨガの知識は山を歩き、山の中で生き、海に入り、海から世界を眺めることで教えてもらったことがほとんどだという想いが込められたもの。   なので、僕のヨガは山と海から教えてもらったとよく言っていて、今も自然からヨガを学んでいる。   インドやアーサナやヴェーダと呼ばれるものに触れた時に学んだことと、それらの知識は全く同じだったりもする。   そんな山や海の側に佇むお寺でヨガを伝えられることは、僕にとっては山と海に対して、この自然や宇宙に対しての恩返しのような想いだ。     ヨガとは一体なんなのか。   ヨガという一般的なイメージである身体のポーズ(アーサナ)だけではないヨガの世界。   日頃から伝えたいことがありすぎて。 いつもヨガの話をしている。 食べ物の話だって。自然の話だって。 それは全てが僕にとってはヨガなわけで。 来る日も来る日もそんなヨガの話が楽しくて、知ってもらいたくて、し続ける。   僕が想うヨガという生き方とは。ヨガの生き方の先にある世界とは。   できればずっと話していたいけれど、僕はいつも同じ場所には留まってはおらず、自分でもどこにいるかわからないくらいで。   こうして徳島にいる間は、ありがたいことに全国津々浦々からこの小さなスペースにみなさん、そんな話を聞きに遊びに来てくれる。 僕がフラフラしているばかりに。 本当にみなさん遠路はるばるありがとうございます。   それでも僕はまた旅に出る。笑 各地を転々とし、また秋にはきっと国外へと指導の拠点を移し、そことインドを行き来することになるだろう。   話したいのに、話す場所をなかなか作らず、フラフラし続けてしまって。   なので今回こうしてみっちりと伝えられる場を作ってもらい、…

Easy to sit down

毎朝2時半に起きて、ゆっくりその日の身体やこころを見つめ、 そこから時間をかけてヨガマットの上に立ち、 アシュタンガヨガの練習を始める。 朝の4時からのフルパワーなプラクティスは、側から見たらそれはそれは過酷な修行だ。 そんなに早起きして、朝からそんなに動いて。よくやるねぇ。と。 アシュタンガを練習していると、周りにはそんな人ばかりになってくるので、日々練習する人からすると特に不思議なことでもなんでもない。 もし練習を休みたい日があれば休めばいいだけだし。 僕はそんなスタンスで練習をしている。 休みの日以外でそう思うことはあまりないけど。笑 ある日、いつもお世話になっている徳島のお寺・城満寺に滞在している時、ご住職からある質問をされた。 「Doniさんはなぜヨガを練習しているのですか?」と。 この時のヨガという意味はアーサナを指していたのだと思うけれど、 僕は改めて考えた時、なぜ自分が毎朝それだけ練習しているか明確な答えがすぐには出てこなかった。 別にヨガを教えるためでもないし、 もっと身体を柔らかくしたいわけでもない。 ましてやもっとアーサナを増やして、いわゆるアシュタンガのアーサナを先に進めたいわけでもない。 もちろん、人に伝えるために自分の練習は必要だと思うし、 身体が開ききってないところがもっと開いたらいいなとも思う。 でも、それが毎朝、一見苦行のように見える練習を続ける一番の理由ではない。 少し考えて出た答えは、 「ただやりたいから、ですかねぇ?」 昔は、気持ちがいいからやっている。とゆう言い方もしていたけど、 それはそうだが、それすらもなんだかしっくりくる答えではなくなっていたわけで。 その時言えたのは、ただやりたいから。 それ以上にうまく伝えられる言葉は見当たらなかった。 でも、それ以降ときどきなぜ僕はアーサナを練習しているのだろうと自問自答するようになった。 まぁ単純に楽しいし、気持ちがいいし。 アーサナをすることで感じる感覚、五感が捉える世界。 見える世界、聞く世界、美味しい感覚。そんな世界が好きだから。 ただ、そこからまた色々なヨガの世界を体験してきて、 その答えも少しずつ変わってきた。 僕はアーサナの練習も好きだし、プラーナーヤーマも大好きだし、瞑想も大好きだ。 そして今は何より聖典を学び、ヴェーダ、ヴェーダーンタの世界を見ることが何よりしたいことの一つだ。 それらの学びをする上で、欠かせないのが「座る」ということ。 聖典を学ぶにも何年もの間、1日の中で何時間も座って学ばなければならないし、 プラーナーヤーマだって瞑想だって、数分座るだけでは気づけない知識が長く座ることでたくさん見えてくる。 聖典を学ぶ時、僕は一度座ったら、絶対に姿勢を崩さないという想いで聖典に向かう。 足が痛くなる度に足を組み直したり、楽な姿勢を探すことは集中力が散漫になり、学びへの意識が薄れる。 そして、一度足を組み替えたり、姿勢を変えると、またすぐに同じように身体と心が落ち着かなくなることを僕は知っている。 だから、何があっても僕は姿勢を基本的には変えない。 基本的には…。 でも、それは最初からできるわけではない。 何年も座り続け、強い意志のもと、足が悲鳴をあげるほど苦しくても組み直さないというような鍛錬もした。 心がザワつき頭がパニックになり、その場から立ち去りたくなる経験もたくさんした。 でも、そんな経験の積み重ねで、僕はだんだんと長く、姿勢を変えずに座ることができるようになってきた。 そして、長く座れることによって、深い集中のもとたくさんの深い知識に触れることができたのだ。 それらの知識が世界を輝かせてくれている。 同じ世界を見ていても、以前の僕と今の僕ではそれはそれは全くと言っていいほど違う世界を見ている。 長く、そして集中して座るには、健全な身体と心が養われていないと難しい。 それを養うために、きっとアーサナはあるのだろう。 僕は最近それを深く体感する。 よくアシュタンガヨガをしていると、そんな激しくて難しいポーズやる必要あるの? あんなのパフォーマンスでヨガではないんじゃない?と。 今なら、僕ははっきりと言える。 そんなポーズができるようになるということは、それだけ身体と心を整え、身体のことを知り、座りやすくなる。…