Event Report: LIVING EARTH YOGA FORUM 2025

『ちょっと真剣にみんなで未来のこと、環境のこと話し合ってみませんか?』 私たちが生かし生かされ合い、未来を生きるすべての生き物から借りているこの地球のこと。 すべては一つの生命体であるように。もう少しすべての生命に優しくあれるように。地球で起こる様々な声が自分ごとであるように。 私たち、今を生きる人間が何ができるのか。 そんなことを話し合う場が必要だ。 10年以上も前からそんな動きが生まれるには?を考えてきました。 できるところから小さく、地道に、それが当たり前であるように。 時間をかけて様々な想いを育んできました。 ようやく、今年皆さんと共にそんな活動が始められそうだと思い、先月11月、宮崎県青島で「LIVING EARTH YOGA FORUM」がスタートしました。 漠然としたテーマであり、それぞれの時間も何をするのか明らかになっていない詳細の中で、何か強い想いやテーマを持ってたくさんの方が参加してくださいました。 4日間という時間をかけて、 今この世界で何が起こっているのか。 なぜそのようなことが起こっているのか。 真剣に話し合い、そしてたくさん笑い合い。 一方向からではなく、多方面から『知る』という機会となった様々なゲストによるワークショップやトークセッション。 今起きている事象を”問題”として捉えてしまえば、時に辛く、苦しい時間となってしまっていたかもしれない。 僕らはヨーガや今までの学びを通して、この世界の美しさを知っている。 その理解があるからこそ、終始このようなテーマの中で、前向きであり、明るく、これからのアクションを考え続けられたのかもしれない。 最終日の夜は、みんなが時間を忘れて私たちができること、どうしたら私たちのアクションがどんどんと世界に広がり続けるのか。 次から次へと出てくるアイディア。 でもたくさんのアイディアの中で全員が多くの言葉を必要とすることなく、無理にまとめる必要もなく、一つの答えに行き着いた。 まるで灯されたランプのように。 このランプが消えないように、僕らはオイルを注ぎ続ける。 そして、ちょっとずつ各地でそれぞれのランプが灯されていくように。 小さなアクションが時間をかけて大きなうねりとなるように。 すべての生きるものたちが、自由で、幸せであれるために。 それぞれができることを。 そんなタネを蒔き続ける人たちがどんどんと広がるように。 『種蒔人〜tanemakibito〜プロジェクト』 @tanemakibito_project ぜひこれからどんな活動が繰り広げられるのか。 ぜひ、皆さんも一緒にタネを蒔きましょう。 すべての生命に愛を。 本当に美しく、そしてエネルギーに満ち満ちたフォーラムとなったこと。 関わってくれたみなさんに心より感謝を。 また来年も開催する予定です。 来年はヨーガコミュニティにとどまらず、あらゆる方と共にを目指して。 来年は《LIVING EARTH FORUM》として。 ありがとうございました。

VIVO BAREFOOT アンバサダーになりました。

本来持つ足裏の感覚と自然な足の動きを取り戻すためにできる限り裸足に近いベアフットシューズVIVO BAREFOOT。 光栄なことにJAPAN AMBASSADORとしてお声がけいただくこととなりました。 おそらく20年近く身体が求める靴を探し求めていましたが、いつしかインドのインドサンダルに落ち着き10何年の間で10足以上のサンダルを履き潰しました。 サンダルが一番裸足に近く、足が使いやすいと思っていた僕ですが、長年サンダルを履き続けたことにより、少し足にクセがつき始めていたようです。 VIVOと出会い、VIVOを履いた時、長年探していた感覚が身体に流れ始めたような感覚でした。 靴を履きながらも、足が喜ぶ感覚。すぐに僕はVIVOの虜に。 履き始めてすぐに、クセのついた僕の足指は本来のあるべき動きを取り戻し、今まで以上に大地の情報を受け取り、しっかりと安定して足を使えるように変化していくのが分かりました。 その後、VIVO BAREFOOT JAPANのメンバーの皆さんと会うことになり、さまざまなことを焚き火を囲みながら話し込んだ久尾での夜。 彼らが目指すこれからの社会や企業のあり方。僕が伝え、目指したその社会。互いにそれはとても共通することだらけで、企業としても、人としてもさらにワクワクさせてもらうコミュニティとの出会いとなりました。 靴がこれだけのメッセージを持ち、社会や人々へと影響を与える存在に感動しっぱなしです。 このようなコミュニティに招き入れていただき、一緒にメッセージを発信することができること心より光栄です。 ぜひ、声をかけていただければ試し履きもしていただけますので、みなさんいつでも遠慮なくお声がけください。 また一つ、この世界にメッセージを届ける新たな家族に。一緒にこの世界がより良くなるために。 ぜひ一度みなさんもお試しあれ。 ※VIVO BAREFOOTでは多くのヴィーガンシューズを取り扱っています。僕は革製品は使用しませんが、ヴィーガンの方もたくさんのモデルの中から選んでもらうことができます。 街でも、山でも、畑でも、海でも。いつも地球と繋がっている感覚を忘れずに。 https://vivobarefoot.co.jp

シンプルライフって本当にシンプルライフ?

ナマステ。 僕らの暮らしは一般的にシンプルライフと言われるような暮らしなのだろう。 できる限り機械に頼らず、木を切り、火を起こし、川や山の水で生活をしている。種を蒔き、米や野菜を育て、虫や動物、植物や木々たちと共に。 一見、その暮らしはとても魅力的で都会に暮らす人々からは羨望の眼差しを向けられることも少なくない。 もちろん僕にとってはこの上なく幸せな暮らしだ。 でも、これって本当に多くの人がイメージするシンプルなのだろうかと首を傾げることもしばしばある。 だってシンプルライフやスローライフという言葉から想像できないほどに、自然との暮らしは毎日”やらなければならないこと”が次から次へと押し寄せてとてつもなく複雑にさまざまな出来事が絡み合っているのだから。 冬に薪ストーブで暖をとりたければ、少なくとも1年以上前から薪を割って乾かさなければならないし、その薪は山に木を切りに行かなければならないし、そのためには薪小屋を作っておかなければならないし、チェーンソーの刃は研がなければならないし、そのためには…。 山に季節の山菜やお茶、食材が実ったならば、天気と実り具合をみながら山に入らなければならない。街では考えられないほどの量が一度にたくさん採れ、大抵の山の恵みは下処理がとても面倒なものばかりだ。大量の面倒な下処理をその日中に終わらせなければならず、また天気と相談しながら、1年分の保存食を天日干しする。 そうこうしているうちに、あたりは草ぼうぼうになりはじめ、草刈りに追われていると次の季節の仕事がやってくるか、どこからかじいちゃんばあちゃんがやってきてなんてことない長時間の井戸端会議が始まるのだ。 自分のやりたいことなんてなかなか進まない。でも自然は待ってはくれない。 ひとつひとつどれもやっていることはとてもシンプルなのだが、その暮らしは季節のリズムやその年の気候、自然界の秩序や人々との繋がりが本当に複雑に絡み合って構成されている。 頭や五感が最大限に働いていると言ってもいいかもしれない。 逆に、街の暮らしはどうだっただろうか。 複雑な機械に囲まれて、とりあえずスイッチを押せば明るく、綺麗に、なんなら食べ物さえもスイッチで出てきてしまう時代だ。 朝起きて、複雑な機械に触れるところから始まり、複雑な路線に乗って、複雑な機械とともに1日を終え、どこからきたか分からない食べ物がいつでもどの季節でも買えて、帰ってきたらまた複雑な機械の画面を見て、また朝が来て、またスイッチを押して…。 複雑に見えるこっちの方が実は”単純”な暮らしではないだろうか。 人々はシンプルライフを求めているようで、実はもっと複雑に絡み合った頭や五感をフルに働かせている暮らしを求めているのではないだろうか。 自然の中で畑作業をしていたら、頭がスッキリするように思えるのは、何も考えないからではなくて、五感が働いているからなのではないだろうか。 身体が動かないでじっとしていたら凝り固まるのと同じで、頭や感覚も同じなのかもしれない。 スローライフに憧れて都会から移住した人が、田舎生活は想像以上に忙しく、うまく行かず、周りとの付き合いが面倒だなどの理由ですぐに戻ってしまうことも少なくない。 シンプルだと思った生活は都会では考えられないほどに複雑だったからだ。 シンプルなようで複雑な暮らしなのか、複雑なようで単純な暮らしなのか。 田舎だから都会だからという話ではなく、これはどこにいても自分の選択でシンプルな暮らしはできるだろうというもの。 シンプルな暮らしは時間や手間がかかる。 そこに価値が見えるのか、そうでないのか。ただそれだけな気がする。 僕は手間のかかることが好きなようだ。 今日は藍染の準備をすることにしよう。着るものを大切に長く使うために。 こりゃまた手間のかかることになりそうだ。

ヨーガの先生であること

ナマステ。 僕はヨーガの先生であることを頑なに否定してきたこの数年。 ふと、なぜこんなにもヨーガの先生ではないと自分に言い聞かせてきたのだろうかと。 今日の練習を終えて少し静かに過ごしていると、いろいろと過去の記憶が整理されてきた。 僕はヨーガを学びたいと思い、さまざまなクラスをヨガスタジオで受けた結果、Ashtanga Yogaというものに出会った。 それからもっとそのヨーガを学びたいと思って、インドに通うようになった。 学べば学ぶほど、知りたい道が定まり、いつしか聖典を学ぶようになった。 そうしてだんだんとヨーガの全体像が見えて来たように思う。 その中で、多くの方と同じようにこの素晴らしい知識をシェアしたいと思い、ヨーガを伝える機会をいただくようになった。 僕はヨーガを伝えることがとても好きです。 でも、そうなるとどの世界でも同じなのかもしれないけれど、活動が広がれば面倒なことも起きるようになった。 何年も前のことだしもう過ぎた話としてですが、ヨーガを学ぶため、インドに通ったり、聖典を長く学んだ人だとしても、こんなちっぽけなことに嫉妬して、エゴに振り回されて、それでも人の前ではあたかも聖人のように振る舞って。 その教えは自分のものだとか、それは自分の領域だとか。 当時僕はこのヨガ業界に心底呆れてしまったんだと思う。 たったひとつのひとりの出来事によって。 そんなに欲しいならどうぞ僕は全ていりません、全部どうぞ。とその時先生であることを僕は手放してしまった。 僕はただ、自分が学びたいだけだから。 僕は昔からこうゆう癖があるのだと思う。 不必要な争いに巻き込まれるくらいなら、自分の持っているものはすぐに手放してしまおう、と。 その時の強い出来事が、きっと僕の頭のどこかにこびりついていて、今でも先生でありたくないと強く思っていたのだと思う。 でも、最初にも言ったように、僕はヨーガを伝えるのがとても好きなのです。 職業がヨーガの先生でなくても、ヨーガは伝えられる。 そんな想いでその人の領域?に入らないように、家の周りの地元の人に伝えたり、四国あたりから出ないようにしたり。笑 それでもやっぱり伝えるの好きだからちょこまかちょこまか、もう部外者だしという気持ちでうろちょろし始め、 そこから気心の知れた仲間と一緒に何かクラスをさせてもらい、よりちょろちょろし始めた。 それでも今日の朝まで僕はヨーガの先生であってはならないと、どこかに強い想いが纏わりついていてそれを自分に言い聞かせていた。 僕は今は環境活動と子供達の教育のことを熱心に取り組んでいて、間違いなくそれは何よりもやりたいことである。 でも、この環境問題や教育のこれからを考えている中で、僕の向かいたい世界を目指すには、全国のヨーガを学ぶみなさんと共に進んでいけたらと強く思っているのです。 みなさんと共に歩まなければ目指したい世界は実現しないと思う。 そんなみなさんとこの現状を共有するためには、僕は部外者であってはならないし、ヨーガのみなさんから離れた場所で活動をつづけても思い描く未来はやってこない。 ヨーガを学ぶみなさんの力が何よりも必要だと心から信じているのです。 過去のくだらない一つのできごとで、未来のこどもたちに返せる豊かな自然や、その子らしく生きる可能性を少しでも減らしてはいけない。 今朝の練習後、強くそれを思いました。 僕はみなさんに伝えたいことがまだまだたくさんあります。 それがヨーガなのか地球のことなのか、未来のことなのか。 僕の中ではひとつの物語。 ヨーガを学ぶ皆さんとまだまだ手を取り合い、未来をより良いものであれるように歩み続けるために、僕はヨーガを伝える人でありたいとまた強く思えるようになりました。 ヨーガの先生という肩書きを維持するためではなく、未来の地球や子供たちのために自分にできることとしてまたヨーガの先生であろうと思った朝の出来事でした。 がんこだから自分でも呆れちゃいますね。 改めて、ヨーガ指導者兼、環境活動家として積極的に活動していきたいと思います。 ヨーガから離れないようにと、この数年気にかけて指導の場を作ってくれたすべての仲間たちや先輩に感謝。 ちょっとずつ、指導者としても活動を増やしていければと思いました。 明日より胸を張ってヨーガの先生させてもらいます。 明るい未来を目指して。

Online Mysore について。

ありがたいことに度々オンラインマイソールの開催を望んでくださる声をいただいたことをきっかけに、オンラインについて考えるようになりました。 僕はみなさんが気軽に来れるような場所で指導しているわけでもないですし、頻繁にクラスを開催するわけでもない。 クラスでお伝えすることも、継続しないとなかなか落とし込めないようなこともたくさん。 なのに、継続して見させてもらう場がないことは無責任のようにも感じておりました。 なので、インド帰国を機にオンラインマイソールを開催することにしました。 リトリートヴィレッジに人が来られていたり、その他日々の活動の中でオンラインクラスを開催できるのは不規則な日程になってしまうと思われます。 事前に開催日をお知らせいたしますので、参加できる日にぜひご参加ください。 僕にとってはオンラインクラスは未知の世界ですので、不慣れなことばかりでしょうがまずはやってみなければということで始動してみたいと思います。 よろしくお願いします。 ========================= オンラインマイソールクラスについて 【時間】 AM 5:30〜8:00 ※8:00までに終わっていただければ何時にスタートしてもらっても結構です。 【開催日】 HPのschedule(スケジュールページ)、ブログ、ストーリーズで事前(毎週木曜日予定)に告知いたします。 ご確認ください。 【参加方法】 doniashtanga@gmail.comまでお申し込みメールを以下の項目を記載の上ご連絡ください。 ・お名前 ・最初の参加希望日 ・痛みの有無や箇所 ・最後のアーサナ ・普段指導を受けている先生(任意) ・その他伝えておきたいこと、聞きたいこと(任意) 【料金】 ドネーション制※必ず参加の際はドネーションについての下記のブログをお読みください。https://doniyoga.com/2024/03/23/donation-2/ ご連絡いただいた方へ参加IDをお送りいたします。 どうぞみなさんお気軽にご参加ください。

ドネーションについて

ヨーガに関する活動を全てドネーションでさせていただいております。 日本における文化ではあまり馴染みがなく、本来インドで受け継がれている認識と大きく違うので改めてドネーションクラスをする意味をここに記させていただきます。 ぜひこちらを読んだ上でクラスにご参加ください。 まず大前提として、ご自身が受け取った経験や知識に対して、ご自身の思う心地の良い金額をお支払いください。 これから記す内容によって、参加しにくくなるなどないようにお願いします。 それを踏まえて、学びの中のドネーションの意味をご一読ください。 日本人の感覚ですと、ドネーションは少額で参加できるクラスと思われたり、寄付はお金をたくさん持っている人がするものと認識されていることが多いようです。 ですが、このヨーガの教えの中では、お金が余っている人だけがするというようなものではありません。 これは学びに対する敬意と人のために一歩踏み出せるかどうか、貢献できるかを自らの意思で決め、選択できるかどうかという、知識を学ぶ上でとても大切な教えの一部だとされています。(ダクシナは学びを完結するために必要不可欠な教えとも言われています。) ダクシナとはヴェーダの教えをされる先生に対するもの。 ドネーションは滞在費や食事代、その他の経験に対する実質的なもの+貢献(その教えが受け継がれるために、より多くの方が触れられるために)と言われています。 我々家族はヴェーダーンタを学び、その教えを元に生活を行なっています。 なるべくその教えに沿った生き方を心掛け、ただそうした暮らしや生き方に触れてもらうという機会をつくっています。 なので、自分のことをヴェーダの先生だとは思っていないので、僕はあまりダクシナという言葉を使うつもりはなく、ドネーションという言葉を使っています。 またドネーションに馴染みがなく、いくら支払えばいいのでしょう?と質問いただきますが、 自分で決めることができない時は、一般的な相場+貢献の気持ちを支払うと良いと言われています。 これは人のために自分がいかに貢献者として喜んでもらえるかという自分の成長のために与えられた機会として考えてもらえればと思います。 それと同時に、もし経済的な理由で学ぶ機会を諦めなければならないというのもあってはならないと言われています。 誰でも学びたい気持ちがあれば受けてもらえたらと思っています。 ですので、ドネーションが自分の気持ちほど払えないとしてもそれは遠慮なくご参加ください。 この教えには金額が多い少ないは全く関係ありません。 その人の立場や学びに対する姿勢なだけですので、お金がなくても学びたいという姿勢を持つ方も同じように学べる機会が用意されています。 多いから特別扱いしたり、少ないからといって何か思うことも受け取る側は全くありません。 最初に記したように、自分が心地のよい金額をご用意ください。 金銭的なドネーションがご用意できない際はお手伝いなどのセーヴァーなどもご相談ください。 教えがより明確になるためにこのような活動を取り入れることにご理解いただければ幸いです。 【ドネーション&ダクシナの使用用途】 みなさまからのドネーション&ダクシナは全てこの教えを学ぶために運営しているヨーガリトリートヴィレッジ(KUO GREEN VILLAGE)での活動費用や現在準備を進めている子供達に健やかに成長してもらうフリースクール(自然スクール キトモリ)の運営、環境保全活動、インドのアシュラムへのドネーションに活用させていただきます。 みなさまからのドネーションにより、次に学ぶ方々やこれからを生きる子供達により良い環境や機会を作れるために100%使用させていただきます。 みなさまのドネーションがどのように形になるか見ていただき、長く応援していただけるような活動を続けていきたいと思います。 みなさんの学びがより深まり豊かな日々となりますように。 どうぞこの学びや自然やこどもたちの未来が健全に受け継がれますように。 生きとし生けるものが皆、幸せで自由でありますように。

複雑なアーサナを取り組むことで見えた世界

ナマステ。 今年も師との練習が始まり4週間が終わりました。 4週目に入った頃でしょうか、段々と身体や精神の感覚が研ぎ澄まされ、細部までの情報が徐々に見えて感じられるように戻ってきたように思えます。 別に難易度が高いアーサナを取ることが大切でもないし、必須でもない。 そこに痛みや怪我があってはもってのほか。 いつも言うようにアーサナはヒーリングであり、ネガティブはゼロでなければならない。 それを大前提としてここでは練習が進められるのですが、 徐々に微細なエネルギーに目を向けられるように戻ってきたこともあり、 今までで一番困難であり、そして危険だとも思えるアーサナと向き合っております。 危険なことをヨーガでやる必要あるの?と思うかもしれません。必要ないと思う人は、必要ないでしょう。 もちろんそれが本当に危険であってはならないですし、 それに向き合った人は、向き合った人にしか見えない世界があるのも確か。 どちらも正解だと思いますけどね。 もし少しでも身体を痛めそうであれば絶対に僕は無理はせずそこでやめてきました。 ただ、今週最後のマイソールクラス。 困難なアーサナと向き合っている最中、 今までの練習で培ってきた身体の知識、心の扱い方、全身のエネルギーを丁寧に観察している状態。 さまざまな過去の練習の集大成がその一瞬一瞬の点である瞬間に集め、困難なアーサナを探りながら深めるという、久しぶりにいわゆるゾーンのような感覚の中でアーサナを取り組む自分がいました。 あの状態は闇雲にアーサナを深めるだけにフォーカスしていては見えない世界だと僕はいつも思っていて、穏やかでありながらとてもエッジの効いた山の尾根に立っているかのような。 命の危機を感じながら登った山や、命の危険を感じながらテイクオフしたサーフィン。 まさにその時と同じような感覚。 だけれども心は穏やか。というよりはもはやそこに”ある”けれど”ない”ような感覚。 まぁそんな感覚的なことはさておき。 何が言いたいかというと、 今までの練習での知識や自身の扱い方の集大成が、間違いなくそこに集約されていて、いかにそれを信じれるかということが試されているかのようでした。 もちろん、それまでの知識や身体の理解が間違っていれば間違いなく怪我をしますし、それに向き合わなければ、その形には成り得ないし。 そしてそのあるべきアーサナの形まで持っていけた時、アーサナの形がとれたーという感覚ではなく、自分を信じれた強さと、それにより消えた恐怖心であったり疑う心であったり、信じたものが割と間違っていなかったのかもという今までの学びに対する敬意であったり。 ひとつのアーサナと向き合うことで、その一瞬にはたくさんの感覚が繊細に張り巡らされていました。 とても新鮮な気づきだったので、練習が終わってからこうして言葉としてシェアしようと思ったのですが、2日経って書いている今、もうその感覚は段々と薄れ、言葉にもうまくできなくなってきています。 結局はそんな感覚的なことは重要じゃないのでしょうね。 そんな感覚はただの道の途中の小さな出来事に過ぎず。 そんな感覚を追い求めず、いままで通りみなさんも練習していきましょう。 そうしていれば、たまにこうしたサプライズ的なイベントが起こったりするのでしょうね。 何はともあれ、今日もいつもと変わらぬ1日を過ごしております。 Om

執着なのか、意欲なのか。

ナマステ。 ここ数年、色々な場面で、はて?それは本当にそういうことなのだろうか?と考えさせられる場面がよくあります。 一見それは正しいようで、そのように着地していいのかなと思うことが多々あるのです。 思いつきで例えをあげるのであれば、 ・子供がいるからアシュタンガの練習はほどほどにできる範囲で。やりたい気持ちに囚われず、今すべき役割をしっかり認識しましょう。 とか ・ヨーガはアーサナではない。練習はするけれど、アーサナに囚われず、先へ進むことを求めず、できる範囲のことをやりましょう。 とか ・勉強はしたいけれど、今は家庭があってそんな時間を作れないから聖典と向き合うことは置いています。子育てこそが学びなのでそれで十分です。 とか ざっと頭に浮かんだのはヨーガのこととか、自分でもこの数年自問自答してきたこととかですが、ヨーガだけに限らず、様々なシチュエーションで起こっている思考のパターンなのかなとも。 少しネガティブにいうのであれば、「しょうがないよね。だって〜だから。」という言葉で片付けてしまいがちなシチュエーション。 僕はしょうがないという考えは好きではないので、本当にその選択以外の選択がないのであれば、そりゃこうあるべきだよなと理解しますが、それに至るまでにすべての可能性を模索するくらいの気持ちで生きています。 上で言ったような例えは正しいと思うし、そうあるべきだとも思っています。でもその形は一つじゃないのかなと。 その時その時で常に形は変わるはず。 数年前、数週間前はそれがベストの選択だったかもしれませんが、果たして時間が経過した今も同じなのでしょうか? ヨーガをしていると執着を手放すことが大切なことをみんな知っているし、そうあるべきです。 でもその考えの時、「執着」と「意欲」を混同してしまって同時に手放してしまっていないでしょうか? 執着は手放すべきです。でも、意欲は手放してはなりません。 一緒に意欲を手放してしまって、ただ今を受け入れたように思って。 でもその”今”はいずれかつての”今”となるわけで。 常に”今”を受け入れるには意欲を失わず、常に持ち続けるってことが大切なのかなと。 僕は隙あらばあらゆるチャンスを狙いまくって自分にできることを徹底的にやりたいと思っております。 なので、練習も執着はしていないけど、隙あらば全力で取り組めるチャンスをこのインドでも虎視眈々と狙っています。 もちろん社会や環境に対して自分が貢献できることも。 やりたいことは全部やった方がいい。今世でできないことはあるかもしれないけれど。 でも、まだ全部できる可能性を信じて。 その時を待つのではなく、その時を逃さぬよう狙っている。 何年後か、何十年後かわからないけれど。 それでもできないことは、自分にとってない方がよかったってことですよね。 もう一度、執着と共に意欲を手放してはないか、ゴミ箱を漁って見返してみてもいいかもしれないですね。

種を蒔く人、木を育てる人。

ナマステ。 先日、僕が長くヨーガをお伝えさせていただいてきた中で、とても印象深く、そして嬉しい出来事がありました。 福岡での滞在中、マイソール後なんとなしにアシスタントの方に連れて行ってもらったランチ。 ヴィーガンでも食べられると言う、おむすび屋さん。 https://nayuta.earth 大きな元温泉施設Nayutaの中にあるという。 施設に入った瞬間から、目に入る様々な箇所からビシビシ感じる強いメッセージ。 施設の素晴らしさはもちろんなので、そのあたりは今回は置いておいて。 施設の奥から、スタスタとやってきたここのオーナー前田さん。 昨年の宮崎でのギャザリングで少しだけご挨拶した程度で、ほぼほぼ初めましてという出会い。 話をすると、僕の活動や想いに大きく共感してくださって、その僕の伝えたい想いを存分に受け取ってくださり、この施設を運営されているとのこと。 正直、僕が今進めようとしている次なる展望をそっくりそのまま、いやその何十倍と言うクオリティと規模で目の前に既に実現されていることに大興奮してしまいました。 「僕がやろうとしていることがもうここにあった〜」と言うと、 そりゃそうだと。僕のメッセージを大きく汲んでいるのだからだと。 なんとも恐れ多いお言葉ではありますし、それだけではこのような活動ができるわけでもなく。 ただこの活動の一部にでも僕の想いが関係していて、その気持ちがとても嬉しく。 10年以上に渡り、僕なりにぶれることなくヨーガの学びをシェアさせてもらってきましたが、お会いしたことのなかった方がこれまで大きく影響を受けてくださっていることに、何だか胸が熱くなり、こんな活動をしてきてよかったなぁと心底思えた出会いでした。 過去のブログも全て読んでくださっていたり、アーサナから多くのことを感じ取ってもらったり。 どこでどう芽が出るか分からないけれど、ずっとずっと今でも種を蒔き続けようとゆう想いで活動をしてきている。 クラスだけでなく、ただ生きる。そのすべてがメッセージであるように。 どこかで蒔かれた種に、水をあげつづけ、こうして大きな木となっているのを見させてもらえたこと、多くの想いが沸き上がってきます。 ただ、水をあげ続けるって、とても大変なことを僕は知っています。 時に止めたくなったり、違うんじゃないかと疑ったり。 前田さんの実直さを少しの間の時間でしたがたくさん体験させてもらいました。 何かこれからの僕の活動をさらに勇気づけていただくものとなりました。 一緒に面白いことたくさんやっていきましょー。 日本のヨガ界がほっておかない施設になりますよ絶対。 ブログや、ラジオやクラス含めて、気まぐれでなく、ちゃんと蒔き続けることの意味を教えてもらったと思い、ここにこれから更に種を蒔き続けることを決意します! 素敵な出会いをありがとうございます。 こんな機会をつくってくれたアシスタントのお二人もありがとうございます!

ドニラジはじめました。

ナマステ。 今は福岡で2週間Mysore Fukuokaのみなさんと一緒にヨーガさせてもらっています。 そんな福岡での滞在中、コールドプレスジュース&スムージーの専門店 『DEEP GREEN』の秋山裕也くんのお宅にお世話になっています。https://deepgreenfukuoka.jp 毎日毎日、いろいろな話を2人で夜遅くまでしていて、 そんな中、僕はいつかヨガビレッジに来たいろいろな人と対談Youtubeをしたいとずっと思っていて。 裕也くんはずっとラジオが好きで、いつかラジオがやりたいと思っていたようで。 そんなふたりの想いがあっという間に形となり、ラジオを始めることにしました。 別に何か伝えたいことがあるわけではなく、ただ僕が誰かと話すと言うそれだけのラジオ。 運転中だったり、何か作業中のBGMのように聞いてもらえたら嬉しいです。 ひとまずSpotifyとapple podcastで試行錯誤しながら勢いで初めてみました。 ドニの日常ヨガ会話〜ドニラジ〜 カタカナで「ドニラジ」と検索していただければ出てくるはずです。 気が向いたら会話を録音するスタイルなので、徐々に聞きやすく改善していければと思います。 ブログとラジオなるべく更新するを目標に。 毎年そう言っているけど、今回はつづけます。 つづけられますように。祈る。