日本の外から日本を見ることが多くなって、それでもやっぱりいつかは日本の自然あふれる美しい場所に住みたいなと思い続けてきた。 目に見えないことだから事実はどうか分からないけれど、僕には分からないことだから、やっぱり僕は東には住むことはないだろうし、それでも被災地の方にはどんな形であれ何かできることがあるならばしていきたいし、していくつもりだ。それは間接的であったり、目に見えないことかもしれないけれど。 今回のインドにいる間でも、もう呆れるようなニュースをたくさん見た。 これから帰る日本なのに、もう呆れて帰りたくないとも思うほどだ。 原発の再稼働がまた新たにすすんだり、くだらない政治家の汚職だったり、そんな同じニュースばかりしか報じないメディアだったり、そんな中でどんどん新たな法案が可決されたり。どう使われているか分からない税金でこうした公共事業が行われ、それでも税金は足りないと彼らは言う。 こんなニュースを見るたびに本当にやるせない気持ちで悲しく、少し怒りたくもなる。 普段の生活では正直、感情が大きく揺さぶられることはあまりない。 でもいつだってニュースを見ると未だに感情が大きく揺れ動いてしまう。 別に東北だけで処理したらいいなんて思わないけれど、いままで問題となっていた汚染廃棄物がこんな形で処理されるなんて。このニュースのショックは大きすぎた。 数字なんてあって無いようものだ。 除染廃棄物が防波堤として海に沈み、全国各地の大地を覆う。 僕は数年前からSNSなどで政治や時事に関する投稿は控えるようにしていた。 もう、ここで書くよりもヨガを通して一人一人、食であったり生活を見直してもらえるのであれば、自然とそういった問題が身近になるのではと思ったから。 だから僕はいろいろな思いを込めてヨガを伝えている。 ただ本当にこのニュースは悲しかった。 おもわず書き出してしまいました。 いろいろなご意見あると思いますが、率直な感想です。 地球の美しさを僕らの手で奪わないように。地球に感謝して。ありがとう。 http://this.kiji.is/112837223831586301
Category: yoga
身体の硬さは、知識の原石。
ヨガはしてみたい。でも…。 どうしてもヨガとは美を意識する女性がするものだとか、身体が柔らかい人がするものだとか。 あとベジタリアンにならなきゃいけないとか。笑 食に関してはまたいつかゆっくりと。 全然、そんなことはないのに。 ヨガは結構誤解されやすい。 いちばんよく言われるのは、 「身体がすごく硬いから…」 そりゃ、そうだ。だって今までヨガしてないんだもの。 なんだって使っていなければ、硬くもなるし、衰えてもくる。 自分の身体のことを本当に知っている人なんて実はほとんどいなくて、使える筋肉のほんの数パーセントしか使わずに人は生きている。 残りの使っていないところは次第に硬く、弱っていく。 スポーツをしている人は、そのスポーツで使う筋肉はいろいろな形で発達するけれど、それは逆に偏った発達の仕方をすることもある。 使いづらい筋肉を使いやすい筋肉で補ってしまったり。 そうなれば、やはり硬くなり、怪我しやすいなんてことにもなり得る。 ヨガにもよるけど、ヨガはそんなあらゆる身体の使い方をバランスよく教えてくれるものだと思う。 今はこうしてヨガをしながらサーフィンやスノーボードやロッククライミング、山登りと共に生きているけれど、かつての僕は全く逆だった。 スポーツもほとんどしない。 アウトドアなんてもってのほか。 体育の授業で僕より硬い人を見たことがないし、そもそも今より20キロ太っていた。笑 電車でももうちょっとで滑り落ちるんじゃないかとゆうような格好で座り、骨もだいぶ歪んでいたのだと思う。 ヨガを始めて、あらゆる部分が師匠もビックリするほど硬いことや、歪んでいることを知った。 今でもよく言われるけれど、あなたのこの筋肉は酷く硬いし、酷く曲がっている。こんなの今まで見たことないわ!と言われることも。 でもそうだと思う。かつての生活と姿勢はそりゃ酷いものだったから。 でも、その硬さのおかげで、ちょっと身体が変わればすぐにその変化に気づくことができた。 その微妙な変化はとてつもない身体の知識となる。 まだまだ硬さがこれだけ残っているのだから、まだ知らぬ身体の知識はこの身体にたくさん眠っている。 硬さは知識の源なのだ。 石のように暗く硬い何かが、身体のなかで朝日を浴びた水しぶきのように解放される。 僕はそんな風に感じながら、日々硬くなった身体や意識に目を向ける。 それが完全に解放されるのにどれだけの年月がかかるのか分からないけれど、完全に解放される事なんて正直どっちでもいい。少しずつ少しずつのその過程が知識なのだから。 今でもなかなか解放されない筋肉はたくさんあるし、そこを何年も前から少しずつ少しずつ、あと5年10年かけて変わっていったらいいかなと思ってのんびり焦らず練習している。 実は硬い事もそうだけれど、柔らかすぎることも同じ事。 本来使わなければいけない筋肉が緩みすぎているのならば、少しずつ少しずつ今まで意識していなかった筋肉を育てていかないと。 どんな人にも必ず形は違えど知識の源が身体の中にたくさん眠っている。 硬い=悪い ってのは勿体無い考え。 硬いだけではない。身体に宿る全ての出来事は知識を与えるためのメッセージ。 痛みだったり、重さだったり。 以前も書いたけれど、どんな状態であれ今の自分は完全に満たされている。 そのメッセージに目を向けるか向けないか。ただそれだけ。 あの硬さが無ければ得られなかった知識が僕の中ではたくさん今を輝かせてくれている。 だから、あのだらしない日々にも心から感謝している。 あの20キロの脂肪にも。 もういらないけど。
Hot, Hot, Hot!!!
インドは日に日に気温が上がり、日中はもう身体が動かないくらいの暑さに。 毎日、マントラの様に気づけば暑いを繰り返し唱えている。 日本でもニュースに取り上げられている様に、今年のインドはとてつもない暑さになっているようだ。 ニュースで多く取り扱われているのは北部の地方。北はカラカラジリジリ乾燥した暑さに。僕のいる南部は湿度と気温が高くジメジメ。ニュースにはならないけれど南部も相当暑い。 太陽がまだそんなに昇りきらない時間の練習でもすぐに汗だく。 ゴアでの練習はだいたい3時間。 いったいこの3時間の間にどれだけの水分が身体から出ていっていることやら。 練習が終われば、一目散にバイクを走らせココナッツスタンドへ。 ココナッツは瞬く間に身体に染み込んでいく。砂漠のように干上がった身体にはココナッツがいちばん。その後、家に帰って更にスイカジュース。そして、パイナップルジュース。 この時期はいくら水分を摂っても取りすぎってことにはならない気がする。 一体どのくらいの気温なのかはよく分からないけれど、いつも夏に帰国するとあの盆地の京都ですら扇風機を使わずに過ごせるのだから、よっぽどこっちの不快指数は高い。 去年もそうだったけれど、この時期になると身体中にポツポツと湿疹が出てくる。 去年はマンゴーの食べ過ぎだと思っていたのだけど、今年はそんなにまだ食べていないのに去年と同様に身体中にポツポツ出てきた。 結局、この湿疹は暑すぎるゆえに体温を下げさせようと出てくるらしい。 確かに、練習でどんどん身体が温まってくるとちょっとずつ現れる。 そして、マンゴーの食べ過ぎもあながち間違いではなく、マンゴーは身体を熱くする。オーガニックマンゴーとなれば、本当に太陽のエネルギーを食べているのかのように、とてつもないパワーだ。 それもあってマンゴーを食べた後は顕著に現れる。 一時は、マンゴーアレルギーかも。もうマンゴーたくさん食べられないな。とショボくれていたのだけれど、マンゴーのせいのようで、そうではないので、様子見ながらちょっとずつこれからも食べていこうと思う。 日本ではいくら暑くてもこんな症状にはなったことが無いけれど、さすがIndia。 まだまだ知らない自分の身体をあらゆる局面で教えてくれます。 さて話は変わり、ニュースになっているインドの熱中症による死亡事故について。 これは僕の憶測にしか過ぎないけれど、きっとこれはただ単に異常気象とゆうわけではなく、貧富の差やカースト制が引き起こしている問題なのかなと。 ここ南インドでも、大抵の人はインド人であっても室内にいたって僕のようにヒーヒー喚いている人たちばかり。でも外では40度前後の炎天下の中、毎日のように道路工事が行われており、それも日本のように技術が進歩しているわけでは無いので、華奢な女性やおじいちゃんまでもが頭に何キロあるかも分からない土や石を乗っけて日が暮れるまで働いているのです。 工事現場近くは土ボコリや道路の原料となる石を溶かす臭いなどすごい劣悪な環境。彼らはきっとそんな仕事しかないんじゃないかなと。 いわゆるインドのリゾート地として知られるこのゴア。僕らがスクーターでスイスイ走っているこの道路の裏ではまだたくさんの過酷な労働が強いられているのを大半の人は気にしないのだろう。 そして、こうして気付いたとしても僕は何が出来るか分からずにただ通り過ぎてしまうだけ。 衣料用品、食品、電化製品、そしてこうしたインフラ事業のほとんどの裏側まだこんな事がたくさん起こっている。 ものであればそんな製品は買わないとゆう意思表示ができるとしても、道路って難しいな。 僕が今できることは毎日、全ての生きるものが幸せである事を祈ることだけ。 生きとし生けるものがみな自由で幸せでありますように。 Om
朝ヨガのススメ
僕らが毎日練習しているアシュタンガヨガは基本的には早朝に練習を開始する。 ここゴアでは今の時期は少し遅めに朝の6時から練習を始めています。 もし、ヨガを普段していない人が、朝のヨガのクラスを受けに行ったならば、クラスの後にはきっと 「今日はなんて贅沢なんだろう。きっといい1日になるに違いない。」と思うだろう。 朝ヨガをした事がある大抵の人はそんな充実した気分を味わった事があるのではないだろうか。 クラスを終えても、まだ普段ならば家で出かける支度をしているような時間。そんな時間にヨガまでして、ゆっくり朝のティータイムなんかしてしまったら、もう今日はお終い!もう1日分満たされました。最高!となってしまう。 いつもはまだゴロゴロ寝ていたいなと思って1日は始まっていないのに、少し早起きしてヨガするだけで、ここまで朝のスタートラインが違ってくるのだから早起きして損したなと思ったことは僕はない。 同じ景色を見ていても、ヨガ後のすっきりしたアタマで見るいつもの景色は、本当に輝いて見える。 あらゆる生物が目覚める朝日の昇る時間なんて、毎日違う感動がそこにはある。美しい。 それだけで踊りたくなる。 とゆうよりいつも小躍りする。 毎日毎日そんな美しい世界を見ているとだんだんそれが当たり前と慣れてきそうな気もするけれど、不思議なことにこればかりは慣れがこない。 それどころか、日に日にそんな美しい景色に感謝が増すほど。 寝ることも大切だけど、実は必要以上に寝ることが一番の身体やアタマをリフレッシュさせる事ではないことに僕はヨガを始めて気づいた。 とは言え寝るのも大切。 ヨガする時間も寝る時間も十分にとるために、無駄な時間を減らせばいいだけ。 頻繁に携帯を見たり、テレビのチャンネルをコロコロ変えたり、とりあえずパソコンの前に座ってみたり。 僕にはそんな時間より早く寝れるなら早く寝てしっかりと練習をしたいから、携帯もテレビもパソコンも何年も持っていない。 必要な時はWi-Fi専用iPhone片手にWi-Fiを拾いにいくだけ。 でも、帰ったらパソコン買いたい。笑 iPhoneは疲れる。 なにはともあれ、朝にヨガをするとそうしたライフスタイルまで気づけば変わっているのだから不思議なものだ。 僕は全人類どんなスタイルであるにせよ、ヨガをした方がいいと心の底から思っている。 だって、ヨガして損することって何ひとつ無いと思うんだよな。何ひとつ。 ヨガって全然特別なものじゃないと思うんだ。 歯磨きと同じ。 朝ちょっと綺麗にするだけで、1日の気持ちよさが全然違う。 朝、歯を磨かずに外に出るなんて想像しただけでも嫌でしょ。 毎日たくさんする必要なんてない。 毎朝、5分だけでも十分。 ぜひ生活の一部にヨガを。 それでは明日の朝もいい朝に! Have a good morning!!
徳島でマイソールクラスを始めます!
時が経つのは早いもので、日に日に帰国が近づいてきています。 とは言ってもまだ2ヶ月以上ありますが、きっとあっという間です。 帰国後、このインドでの学びをみなさんと共有出来るように帰国後のクラスも着々と計画中です。 今までは関西と徳島を中心にクラスを行っておりましたが、帰国後は基本的に徳島市内を拠点としたクラスを予定しております。 詳細はまた決まり次第、お伝え致しますが、少しでも多くの方にヨガに触れていただけるよう簡単な告知を早速。 Travel Ashtanga Yoga Mysore Tokushima 2016年7月下旬〜9月下旬まで(2ヶ月間) 徳島市Viviamo Japanにて毎朝、アシュタンガヨガマイソールクラスを行います。 http://www.viviamojapan.com 平日しか来れない方や土日しか来れない方のために、基本的には毎朝。 ただ、阿波踊りの期間中や、徳島県海部郡 城満寺でのクラスの期間中、満月新月の日は一時お休みとなります。 でも、それ以外は何度も言いますが基本毎朝。笑 ぜひ皆さん、今年の夏はアシュタンガヨガを好きなだけ練習してください。 2ヶ月もあれば、想像もつかないほど色々変わるはず。 それはやってみてのお楽しみ。 朝早くからお仕事されている方や、朝日と共にサーフィンをしたい方たちにも来てもらえるように、4時からオープンの予定。 指導は6時から9時まで。(予定) 詳細の時間や料金はまた後ほどお知らせします。 アシュタンガヨガやマイソールクラスは初心者の方にはハードルが高いように思われがちですが、実は逆!! 自分に合ったところまでの練習になるのでそれぞれのペースで練習が出来、ヨガを今までやったことの無い人も、簡単なポーズから進んでいくので全く問題ありません! 順番も覚えていなくても大丈夫。 当時、僕も全く分からずインドにやってきました。 インドでも20年以上練習している人から、初めてヨガする人まで一緒に練習をしています。 アシュタンガヨガを何年も熱心にされてる方も、一度もヨガをしたことない方も、ぜひこの機会にヨガのある毎日を過ごしてみてください。 アシュタンガヨガ?マイソールクラス?私にできるかな? と思う方のために、マイソールクラスが始まる期間の前には、アシュタンガヨガワークショップも開催予定です。 こちらも決まり次第。 世界中のヨギーを虜にするアシュタンガヨガマイソールスタイルの世界へ。 ちなみにマイソールスタイルとはこんな感じ。 https://m.youtube.com/watch?v=dd1BpBAQbwY 僕も毎年インドに毎朝のこの練習をしにやってきて、日本に帰っても毎朝こうした練習を続けています。 もちろん、毎朝できない!って方は出来る時だけで全然大丈夫。 9月末にはまたインドに練習に戻る予定ですので、今回はこの2ヶ月のみ。ぜひこの機会にご興味ある方は。 何度も言うようですが、初めての人でも全然大丈夫。 その他のクラスに関してもまたお知らせ致します。 ブログもしくは下記より Facebook https://m.facebook.com/rustictravelyoga/ HP http://doniashtanga.tumblr.com 時期が限られてしまいますが、ワークショップのご要望などもお待ちしておりますので、お気軽にご連絡ください。日本どこでも。 それでは皆さん、素敵な毎日を!
Fruits paradise India
僕がインドで食べているものと言えば、大雑把に言うとカレーかフルーツ。誰も興味が無いのは知っているが、どんな記事より昔から書きたいと思っていたので、この想いを形にしたいと思います。 僕のインドで好きなフルーツBest 5 5位 マンゴー 日本で食べることはまず無い。買えない…。だけどゴアは見渡す限りマンゴーの木だらけなので、シーズンになれば道端にたくさんのオーガニックマンゴーが転がっています。これを拾うのが朝の練習前の僕の日課。 4位 ザクロ 味はもちろん、フルーツサラダに混ぜれば急に質素なサラダが光りだす。少しリッチな気分にしてくれるし、本当に綺麗な色なんだ。 3位 パイナップル ここからは接戦。暑い時にはサッパリとした酸味が欲しくなる。パイナップルはとてもバランスがよい。甘さ、酸味、そして中心部分のクリスピーな食感がたまらない。 2位 パパイヤ 1年目のインドではおそらくランク外であっただろうパパイヤも年を重ねるごとに順位を上げてきて今や冷蔵庫には欠かせないフルーツのひとり。何でか理由は分からないけど、あの優しさがもうやめられないんだ。 1位 スイカ もう、ずっと食べていたい。とゆうよりかずっと食べている。水の代わりのように。インドでは水分をたくさん取らなければならないし、食べ過ぎたからといって翌日の練習に差し支えるわけでもなく。マンゴーとかは毎日食べるには強すぎちゃって。結局はクセのなく優しいこうゆうフルーツが毎日食べるならいいんだな。 殿堂入り ココナッツ もう別格です。 万能すぎてフルーツなのか何なのか分からないけれど、個人的に年間200〜300くらい消費しているんじゃないでしょうか。 練習後は必ずココナッツウォーターを飲み、中の果肉を食す。 中の果肉、通称マライを削ればフルーツやサラダ、カレーをまた一段と美味しくしてくれる。 ココナッツミルクはチャイやカレーにも使え、ココナッツオイルは料理もそうだし、オイルプディングと言って口をゆすぎ歯のケアもできる。 兎にも角にも、ココナッツウォーターが美味しい。 ゴアのココナッツ屋はだいたい友達。 以上、僕の好きなフルーツでした。 インドに行った際は、ぜひフルーツをたくさん食べてみてください。 お付き合いいただきありがとうございました:)
インドに通うという事。
今年もこうしてインドで練習する事ができている。 僕は並々ならぬ思いを持って毎年インドにやってくる。 ただ長い休みを取って、ヨガしながらのんびりしたいからという理由ではない。 こうして継続して何ヶ月とゆう長い期間をインドで過ごす事が、いかに大切かを知っているからだ。 季節労働とは違い、インドの師の元でアシスタントをしようが、仕事の研修のように、ヨガをいくら学ぼうが給料が発生する訳ではない。日本で貯めたお金は減る一方。 日本で働く数ヶ月、頑張るしかない。 それに加え、毎年何ヶ月も日本を離れるのだから働き方の在り方も考え直さなければいけない。(こんなわがままさせてもらえてるのは皆さんのおかげ。ありがとう。) 僕はこのインドに来るとゆう事を第一に考えて日本で生活している。インドに通う仲間たちもそう考えている人も少なくないだろう。 同じように毎年通う仲間たちも、簡単にここへやって来る人は一人もいない。みんな色々な調整を経てここへやってくる。 時間やお金が出来た時に行く。とゆう考えでは、こうして通う僕らがここで得ている、伝統や知識や想いや生き方ってのはなかなか簡単には得られないのだろう。 そこへ毎年必ず行って学ぶんだ!とゆう姿勢で迎えた練習で学ぶものはやはり深く、様々な想いとともにそこにある。 僕らは通えているから人が得られない知識を持っているよ。と言いたい訳ではなく、もちろん一回行くことに様々な想いを持ち、そこで学んだ事にはその人にしか分からない強い想いと学びがあるに違いない。 毎年来る人が偉いわけでもなく、一度も来たことが無い人は僕らには無い知識や想いがある。 ただ、何よりも優先して毎年この地へ来て学ぶと言う想いは、その想いをもった者にしか得られない経験や師との関係性を生む。年々、強く深く。繋がっていく。 ヨガの知識や生き方は伝統と共に脈々と受け継がれ、その土地に根付いてきたエネルギーのこと。 僕はそう感じている。 人や、山や、太陽や水と共に。 師から弟子へ。 毎年通うことで見えてくること、気づくこと、それは来ないと絶対に分からない。本で読もうが、人から話を聞こうが、知識とは言葉では無いから。 見えないエネルギーを身体に纏い、取り込み、活用しなければ。 心から師と仰ぐ人がいる事はとても幸せなことだ。 世界中のプラクティショナーもきっと同じ。様々な想いを持ってみんなインドへ来ている。30年以上毎年来続けている人もいる。 そんな様々な想いをもってインドへやってくる仲間たちと練習できるのも、この地での練習を更に素晴らしいものへと導いてくれる。みんな魅力的で刺激的で。毎年のゴアでの練習もそうだけれど、今年のマイソールでの練習はそんな素敵な仲間たちともたくさん共に時間を過ごさせてもらった。 彼らと練習がしたくて、僕はマイソールにもまた行くだろう。 (Photographer: Hiroki Isohata) できる事ならまだこれから何年もインドへ通いたいと思うし、そう出来るようにあらゆる面で努力していきたい。 いつか何かの理由があって来なくなる時は必ず来るけれど、それはそれでまた何かが起こる時なのだろう。 つい数週間前まで、今年はこのいつもの地で練習できないと思っていた。 それは僕がどうこう言おうが変わらないし、今年はそんなタイミングなのかと、この続いてきた流れが途切れるのも覚悟していた。ここで練習できないなら、仕方がない。早々に帰国しようとも。 でも、今こうして今年もここで師と共に練習をすることができている。 ここで練習できることの有り難さを改めて感じながら。 師との再会のハグはいつも深い愛に包まれ様々な想いが込み上げてくる。 1日1日を大切に。ありがとう。 ヨガして、サーフィンして、昼寝して、フルーツ食べて。 さぁ、今日ものんびりバカンスだ。
Goa family
4月の半ば、スリランカより再びインドへ戻り毎年練習をしているゴアに帰ってきました。 僕のアシュタンガヨガはここから始まり、毎年何ヶ月とゆう時間をここで過ごしています。 日本でも常に居場所が変わる僕にとってはここ数年ではこのゴアが一番長く過ごしている場所で、今やここが僕にとってはホームタウンになりつつある。 街をウロウロしていれば、いつから来てたんだ?とその辺のローカルにもよく声をかけられる。 ここは自然もあるし僕にとってはとても居心地が良い。 何より心から愛して尊敬する師と共に過ごせる時間がここにはある。 我が師には様々な想いがあるが、簡単に言えば、親父とゆう存在で、彼は自分をヨガのすごい先生だなんてきっと思ってはいない。ただ彼はヨガを教えるのが好きで好きでしょうがなくて、そんな彼の元に集まる練習生を家族のように迎え入れてくれる。 そんな彼の姿勢はまるで大家族の父ちゃんなのだ。 実際、今のゴアはオフシーズンのため、一般向けにヨガの指導は行っていない。 でも、彼らはいつもお前は家族なんだ。いつでも来て練習をしたらいい。と言ってくれる。 今、ここで練習しているのは二人だけだ。僕一人しかいないこともよくある。 大人数で練習するエネルギーも好きだけれど、一人で黙々と自分を見つめるこのオフシーズンのゴアの練習は1日の練習に計り知れないパワーと知恵が詰め込まれている。 僕はここより細かく身体の使い方を学べる場所は知らないし、もし少しでも間違っていたのであればすぐに嵐がやってくる。 ここで実際に練習したことがある人にしか分からないかもしれないが、こんな嵐になるところも僕はここ以外に知らない。 ただ、一見厳しいこの嵐のような指導も最初はただ吹き荒れているだけのようにしか見えないだろうが、これも深い愛と深い知識より生まれているとゆうことも僕は知っている。 この嵐の最中といったらもう、やめてくれー!と叫びたくなるほど辛いことだらけだ。心も身体も悲鳴をあげる。 ただ、この嵐を抜けることができたのであれば、今まで見たことの無い美しく静かな世界がそこには待っている。 僕はそんな世界を幾度となく見てきた。 嵐が辛くて、その先に何かあるとも分からず、途中で嵐の外に出てしまう人もいるだろう。 これは正月の富士山に似ている。 幾度となく飲み込まれた竜巻や突風の先に見えるあの景色のような。 別に嵐を抜けることが全てでは無いし、抜けなくてもいいと思う。 ただ、僕は1日1日ゆっくり時間をかけてこの嵐の出口と向き合うようにしている。何年も何年も。どこにいようとも。そこから目は絶対に逸らさぬように。 そして現に今年も初日から嵐の渦中いる。笑 僕はここにあと3ヶ月以上いるつもりだ。 一体、今年僕の身体と心はどんな風に変わっていくのだろう。 考えても分からないし、いつも考えつかないところに連れて行ってくれるから、今年もただひたすら練習をするのみ。 夕方になれば、また家を訪ねお茶飲みながら犬たちと戯れて月を見る。 シーズン中はなかなかゆっくり話す時間も少ないから、こうしてゆっくり家族のように話せるこの時期が僕はやっぱり好きなんだ。
In the jungle
ここはスリランカのヒッカドゥア。ビーチ沿いに走る一本の道路の脇にサーフショップやレストランが立ち並ぶ。 基本的にはこの一本道のみ。 隣町もその隣町も。 そんな一本道からたまに陸側へ入る小道がある。 ビーチ沿いのツーリスト向けの小綺麗な雰囲気は一変し、緑あふれるジャングルへと続いていく。 サーフタウンとして発展する数年前までは街全体がジャングルだったらしい。 列車もジャングルの中を走る。 旅において、住む場所はとても重要だと思っていて、いい住まいが見つかれば、その旅全てがうまくいくんではないかと思うほど。 僕は日本でも家はなく、ご厚意に甘え人の家を転々とする事、早5年。 その場所を出る事になればまた次なる住まいを求めてウロウロする。 この5年でどれだけの人と家にお世話になったことやら。 日本にいても結局旅は続いているわけで、まだしばらくはこれは続きそう。 そんな家のどれもがそうだし、こうして続く旅の最中で求める場所もそうなのだけれど、僕はちょっと人里離れた場所が好きなのだ。 メインロード沿いとか、駅や店が近いとか、そんなのはあまり重要ではなく、不便でも少し奥まって、自然の中にひっそりと佇むようなところを求める。 たまたま見つけたヒッカドゥアの家はジャングルの中の広い敷地の中にひっそりと佇んでいた。 見たことのない虫たちや、綺麗な色をした鳥や、庭で雄叫びをあげる猿や、木と木の間を飛び回るリスと共に。 朝、ヨガの練習を済ませたら、サーフボードを持ってジャングルから海へ。 お陰様で今のところこの旅もうまく進んでおります。
エネルギーを食べる。 その2
2012年リシケシ。 ヨガの聖地と呼ばれるリシケシで2ヶ月過ごしていた時のこと。 たくさんヨガのクラスがリシケシにはあるが、僕は2〜3回だけクラスを受け、あとは基本的に毎朝宿の屋上でセルフプラクティスをしていた。 その屋上にはもう一人、オーストラリアから来たJohnとゆうおっちゃんが毎朝瞑想をしていた。 Johnはオーストラリアで瞑想を教えているらしく、当時まだまだ疑問だらけの瞑想の世界について色々と教えてくれた。 禅やヨガ、瞑想と言えば、欲を滅する とゆうイメージを持つ人も少なくはない。 もちろんその考えは間違いではないだろうし、それだけではないとも思う。 ただ、そうなってくると一つ疑問が湧いてきた。 お腹がすいたな。トマトが食べたいな。 誰しも生きていれば腹はへる。 そして何を食べようか考える。 でも、これは〜したいと思った時に欲となってしまっているのではないかと。 瞑想していればトマトが食べたいなんて思わなくなるのだろうか? ただ、Johnはこう言った。 トマトが食べたいと思うのは欲ではないよ。 ただ、その時にトマトがなくてトマトを必要以上に追い求めたり、ココロを乱された時、それは欲になるんだ。 当時、英語がほとんどしゃべれなかったけれど、きっとこんな事を言っていたのだと思う。 その答えは僕のその後の考えの色々なところで繋がってくれたのはまた別の話として。 そう、僕は今スリランカにいる。 これはひと月の間、海に入らずマイソールでひたすら練習をした結果、身体は海に入りたいと言っているのが聞こえたからだ。 スリランカの海に入った途端、細胞の隅々にまで海水と海のエネルギーが染み渡り、細胞ひとつひとつが喜び、踊っているのを感じた。 自分の身体の声をしっかりと聞いてあげて、何を与えるのか。それは欲ではなく、この身体を授かった役目としてしなければならない事な気がした。 海に入ったとき、そのJohnの言葉を思い出した。 その声を正確に聞き分けるため、僕はヨガをする。 食べ物もケミカルは口にしたくはないし、基本的には動物性のものもあまり口にはしたくはない。 でも、それは欲ではなく、身体の声を聞いて選択してあげるのが私の役目だから。 見えない様々なエネルギーを食べて僕らの身体とココロはここにある。 この境目はすごく微妙なものだと思うけど、間違いなくそのふたつのラインは存在しているのだろう。 まとめると、ただ僕はサーフィンがしたかったからスリランカにいるのだ。