『ちょっと真剣にみんなで未来のこと、環境のこと話し合ってみませんか?』 私たちが生かし生かされ合い、未来を生きるすべての生き物から借りているこの地球のこと。 すべては一つの生命体であるように。もう少しすべての生命に優しくあれるように。地球で起こる様々な声が自分ごとであるように。 私たち、今を生きる人間が何ができるのか。 そんなことを話し合う場が必要だ。 10年以上も前からそんな動きが生まれるには?を考えてきました。 できるところから小さく、地道に、それが当たり前であるように。 時間をかけて様々な想いを育んできました。 ようやく、今年皆さんと共にそんな活動が始められそうだと思い、先月11月、宮崎県青島で「LIVING EARTH YOGA FORUM」がスタートしました。 漠然としたテーマであり、それぞれの時間も何をするのか明らかになっていない詳細の中で、何か強い想いやテーマを持ってたくさんの方が参加してくださいました。 4日間という時間をかけて、 今この世界で何が起こっているのか。 なぜそのようなことが起こっているのか。 真剣に話し合い、そしてたくさん笑い合い。 一方向からではなく、多方面から『知る』という機会となった様々なゲストによるワークショップやトークセッション。 今起きている事象を”問題”として捉えてしまえば、時に辛く、苦しい時間となってしまっていたかもしれない。 僕らはヨーガや今までの学びを通して、この世界の美しさを知っている。 その理解があるからこそ、終始このようなテーマの中で、前向きであり、明るく、これからのアクションを考え続けられたのかもしれない。 最終日の夜は、みんなが時間を忘れて私たちができること、どうしたら私たちのアクションがどんどんと世界に広がり続けるのか。 次から次へと出てくるアイディア。 でもたくさんのアイディアの中で全員が多くの言葉を必要とすることなく、無理にまとめる必要もなく、一つの答えに行き着いた。 まるで灯されたランプのように。 このランプが消えないように、僕らはオイルを注ぎ続ける。 そして、ちょっとずつ各地でそれぞれのランプが灯されていくように。 小さなアクションが時間をかけて大きなうねりとなるように。 すべての生きるものたちが、自由で、幸せであれるために。 それぞれができることを。 そんなタネを蒔き続ける人たちがどんどんと広がるように。 『種蒔人〜tanemakibito〜プロジェクト』 @tanemakibito_project ぜひこれからどんな活動が繰り広げられるのか。 ぜひ、皆さんも一緒にタネを蒔きましょう。 すべての生命に愛を。 本当に美しく、そしてエネルギーに満ち満ちたフォーラムとなったこと。 関わってくれたみなさんに心より感謝を。 また来年も開催する予定です。 来年はヨーガコミュニティにとどまらず、あらゆる方と共にを目指して。 来年は《LIVING EARTH FORUM》として。 ありがとうございました。
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VIVO BAREFOOT アンバサダーになりました。
本来持つ足裏の感覚と自然な足の動きを取り戻すためにできる限り裸足に近いベアフットシューズVIVO BAREFOOT。 光栄なことにJAPAN AMBASSADORとしてお声がけいただくこととなりました。 おそらく20年近く身体が求める靴を探し求めていましたが、いつしかインドのインドサンダルに落ち着き10何年の間で10足以上のサンダルを履き潰しました。 サンダルが一番裸足に近く、足が使いやすいと思っていた僕ですが、長年サンダルを履き続けたことにより、少し足にクセがつき始めていたようです。 VIVOと出会い、VIVOを履いた時、長年探していた感覚が身体に流れ始めたような感覚でした。 靴を履きながらも、足が喜ぶ感覚。すぐに僕はVIVOの虜に。 履き始めてすぐに、クセのついた僕の足指は本来のあるべき動きを取り戻し、今まで以上に大地の情報を受け取り、しっかりと安定して足を使えるように変化していくのが分かりました。 その後、VIVO BAREFOOT JAPANのメンバーの皆さんと会うことになり、さまざまなことを焚き火を囲みながら話し込んだ久尾での夜。 彼らが目指すこれからの社会や企業のあり方。僕が伝え、目指したその社会。互いにそれはとても共通することだらけで、企業としても、人としてもさらにワクワクさせてもらうコミュニティとの出会いとなりました。 靴がこれだけのメッセージを持ち、社会や人々へと影響を与える存在に感動しっぱなしです。 このようなコミュニティに招き入れていただき、一緒にメッセージを発信することができること心より光栄です。 ぜひ、声をかけていただければ試し履きもしていただけますので、みなさんいつでも遠慮なくお声がけください。 また一つ、この世界にメッセージを届ける新たな家族に。一緒にこの世界がより良くなるために。 ぜひ一度みなさんもお試しあれ。 ※VIVO BAREFOOTでは多くのヴィーガンシューズを取り扱っています。僕は革製品は使用しませんが、ヴィーガンの方もたくさんのモデルの中から選んでもらうことができます。 街でも、山でも、畑でも、海でも。いつも地球と繋がっている感覚を忘れずに。 https://vivobarefoot.co.jp
学校のために山を豊かに開拓しましょう。
いよいよ今週末2024年10月19日〜20日から学校づくりのため学校の土地の整備をしていきたいと思います。 10年以上放置されていた山なので、どのような地形かもわからない状態。 集まってもらった皆さんとまずは学校づくりのスタートのため、最初は荒れ果てた山の草を刈ったり、学校づくりのために集まってくれる人たちが泊まる施設を掃除したりと地味な作業からのスタートです。 ですが、きっとどこを切り取っても地味な作業の連続で、その作業の結果この荒れた山で子供達が走り回り笑ったり、泣いたりという物語が始まる舞台となるのだと思います。 まずはどんな土地なのか草を刈って全貌が見えてきたら、集まった仲間や子供達とどんな学校にしたいかみんなで話し合ってさらに今後どのように活動していくかを決めていく予定です。 校舎を建てたり、キッチンを作ったり。 田畑を開墾したり、山全体を食べられる森に木を植えていったり、そもそもの山を力強く風通しの良い空間に生まれ変わらせたり。 やりたいことは山ほど。 山が1年半後に学校になっているなんて想像するだけでワクワクが止まりませんね。 僕はそれを実現させるために僕ができることをするだけ。 2026年の開校に向けて、約1年半。 全国各地よりゼロから学校を作ることに興味がある方大募集です。 長期滞在できる施設も同時に用意しています。 作業をしてもよし。 ゆっくり海陽町を楽しみたいもよし。 これからできるフリースクールに通わせたいと思ったら、ちょっと家族で施設を利用して移住体験をしてもよし。 どんな方でもウェルカムです。 僕が運営をしますが、それは責任上の話であって、たくさんの方がこの学校を想い、この学校を通して未来の子供達やこれからの人々が暮らす地球のことを考えるきっかけとなることを願います。 みんなのどこに向けていいかわからない未来や子供たちへの想いを集められる場所であれるように。 僕はこの学校の代表としてスタートすること表明いたします。 肩書きはいろいろあれど、やっていることはいつも同じ。 未来の子供達と地球のためにできることを。 まだまだ未知の領域であり、教育に関しては素人同然ですが、ヨーガと同様、人生かけてまた学び続けたいテーマが見つかりました。 これから学校にスタッフとして共に関わりたいと思ってくれる方も同時にお待ちしております。まずは学校づくりを共にして、2026年以降も一緒に歩みたい方が集まってくれると信じて。 同時にサポートしてくださる企業さんやスポンサーさんもお声がけいただけたら幸いです。 今後はクラウドファンディングや寄付用の口座も設けたいと思っています。 現地に来れない方もぜひそれぞれが出来るそれぞれなエネルギーでご協力いただければ幸いです。 まずはゼロからの学校スタートの日、10月19日〜20日に集まれる方ご連絡ください。 これから学校ができるまでの開拓記をYouTubeなどのSNSでも発信予定。 いろいろな能力を持つ方がこの土地に集まってくれますように。 みんなで素敵な未来へのアクションを! 【10月19日〜20日の活動予定】 ・山の草刈り(19日・20日)・作業する人用の宿泊施設、キッチン施設の掃除(19日・20日)・宿泊施設周りの草刈り・山の散策(どんな地形かをみんなで観察)・この土地でどんなことができるかの話し合い・みんなのごはんづくり(作業班とキッチン班で分かれましょう。) ※自然に慣れていなくても、掃除をしたり、ご飯を作ってもらったり、学校のアイディアを話し合ったり、できることをやってもらうだけなのでどんな方でもぜひお集まりください。 【宿泊する方】1泊 2,000円(大広間での雑魚寝です。男女別)ご飯付き 3,000円(みんなで作りましょう。)家族での滞在 5,000円/ひと家族(ご飯付き) ※長期滞在を希望する方はご相談ください。 ※集まった費用は宿泊施設の運営に活用させていただきます。協力費としてご理解いただければ幸いです。
オルタナティブスクールプロジェクトはじまります。
こんにちは。 インスタグラムのストーリーズでもちらっとお知らせしましたが、僕の住む町、徳島県海陽町にオルタナティブスクール(フリースクール)をつくるぞと動き始めて早数年。 ようやく学校をつくれる土地が決まりました! 本当に長かった〜。土地探しをし始めて4〜5年経ったのではないでしょうか。 こんな学校があったらと想い描いていた想いそのままのような土地が現れてくれ、そこから交渉を重ね、二転三転、いやそれ以上しながらなんとか快く土地を使わせてくれることになりました。 今まで、環境のこと、食のこと、生き方やヨーガのこと。そんなことをお伝えさせてもらってきた10年以上。 本当にこれからの地球のこと、環境のこと、そしてこの地球に生きる人々のことを本気で考えていくと、いつも行き着くのは”教育”であり、子供達の未来でありました。 人生かけてこれからを生きる子供たちの未来をより明るいものであるために。この自然豊かな海陽町の地でオルタナティブスクール開校を目指していよいよ動き始めます! 地域のたくさんのサポートメンバーはいますが、ぜひ一緒に子供たちの健やかな学びの場をゼロから作り、共に歩んでくれる方を全国から募集したいと思います。 もちろん、学校はやれないけど、ゼロからの場づくりに関わってみたい!という想いの方も大募集。 今は20年近く放置された山や畑は草ボーボーな状態ですが、そこがだんだんとみんなの力で整備され、風が通り、光が差し、さまざまな息吹が宿る様を一緒に体験してみませんか? それはそれはかけがえのない時間と経験になると僕自身ワクワクしっぱなしです。毎日ワクワクしている僕が言うのだから間違いないはず。笑 山には果樹が実り、隣には美しい川が流れ、山にも水辺にもたくさんの生命が呼吸をしている。こんな土地で全力で遊び、学ぶ。子供だけでなく、大人にもたくさんの学びを与えてくれるでしょう。 学校づくりの間はみんなで宿泊できる合宿所(男女別部屋)を用意しています。どれだけの期間滞在してもらっても大丈夫です。 この土地にみなさんの想いを集めて、子供達がキラキラ輝ける場を作っていきましょう。 どんなことをするかや、詳細は順次決まり次第お知らせする予定ですが、おそらく10月中旬ごろから始動予定です。(ひとまず半年くらいは作業しているはず。) 参加できるようにみなさんぜひ予定組んでみてください。もちろん途中からの参加も短期の参加も大歓迎。 ぜひみなさん興味ある方、興味ありそうな方へのシェア、ご連絡お待ちしております。 どんな学校にするかや、これからのこと、小分けに情報発信していく予定ですので、instagramかBlogを見てみてください。 今後はクラウドファンディングなどもスタートしていく予定です。現地での関わりができないけれども応援や活動を楽しみにしてくださる方、皆様の想いを様々な形で子供たちに繋いでもらえたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。 〜やろうと思っていること〜・山や大地の環境整備ワークショップ・食べられる森プロジェクト・パーマカルチャーワークショップ・自然農ワークショップ・校舎、キッチンづくり・アースオーブン、かまど作りワークショップ・各種自然を使ったワークショップなどなど 〜こんな方大歓迎〜・自然が好き・子供が好き・ワクワクすることが好き・フリースクールスタッフに興味がある・兎にも角にも来たいと思ってしまった人・なんであれみんな大歓迎 〜こんな方いたら嬉しい〜・大工さん・料理が得意な人(プロジェクト中はみんなでご飯をつくりましょう)・農作業得意な人・生き物に詳しい人・田舎暮らししてみたい人・映像制作できる人(←結構望んでいます。日々の変わりゆくSNSとかやってほしい。)・SNS発信得意な人・パソコン得意な人・事務作業も割と好きな人(←こんな方も結構重要。僕は全然できないので。)・税理士さんや公認会計士さん みなさんお待ちしております。ゼロから学校作っちゃいましょう!
ヴィーガンとミツバチ その2
ヴィーガンという言葉は今や珍しい言葉ではなくなった。 一度はみなさんも耳にしたことはあるだろう。 簡単に言えば、生き物をなるべく傷つけないという選択だ。 自分の健康のためというよりかは、自分以外の生き物を傷つけずににできるだけ食物連鎖の下の植物性のものをいただいて生きるというもの。 食生活に目を向けられがちだが、食事だけではなく、ヴィーガンと呼ばれる人々は身につけるものも毛皮や革製品、シルクなども身につけないし、生活用品や化粧品などで動物実験がされているようなものも選ばない。 意外と知られていないのかもしれないが、動物実験の後商品化されている生活用品は少なくない。 よく勘違いされるがヴィーガンは生き物を全く傷つけないという生き方ではない。 自分の選択によりできる限り傷つけないという生き方だ。 僕ら家族もそれなりに長くヴィーガンという生き方をしてきている。 もちろん食事だけではなく、身につけるものも、新たに買うものもその考えをもとに選んでいる。 ただこれだけは言っておきたいのは、僕らはヴィーガンになりたかったわけではない。 自分たちが心地よい選択の結果、それがいわゆるヴィーガンというカテゴリーだったというただそれだけだ。 ヴィーガンを謳いたくて、選択を変えたわけではない。 そんななかなか厳しい食生活だと思われるヴィーガン、実は蜂蜜も食べない。 蜂蜜自体は植物からの蜜だが、それを集めるミツバチが子供を育てるため、冬を越すために集めた蜜を人間が搾取するというのはミツバチを殺していることと同じであり、ミツバチを過酷に労働させているともとられるからだ。 ミツバチの立場からしたら、朝から晩までちょっとずつ集めた蜜が最後の最後に大きな生き物に全部持っていかれ、愛する数千の子供達が殺されてしまうのだ。 たまったもんじゃない。 我が家でも妻がお菓子を作る際はメープルシロップなど植物性のものを使っている。 あまり養蜂業界に詳しくはないが、商売で蜂を育てているところの多くは効率化、生産性を上げるため自然ではない形でミツバチを飼育しているところも多くあるだろう。 前述したように、ミツバチは地球上の生き物の生態系に大きく関わっている生物のひとつである。もちろん生き物全て大きく関わっているのではあるが。 僕らはこの土地に来て6年近く経ち、無農薬で畑や田んぼをしてみたり、山や草花と共に暮らすという生き方を選択することで、だんだんと僕らの住む家の周りの生態系も変わってきた。 風が通ることで、水が流れ、草に覆われて淀んでいたところには今まで咲くことのなかった花が咲くようになったり、たくさんの生物も共存するようになってきた。 ミツバチもそのひとりだ。 田んぼに咲く、たくさんのレンゲの花にたくさんのニホンミツバチが集まるようになった。 何もしなければこのミツバチもだんだんと減っていってしまう。 スズメバチに襲撃されることも多いだろう。気候変動によってスズメバチも増えてきたという。 そんなこともあって彼らが快適に繁殖できるよう、ミツバチのために家を作ることにした。 ちょっとずつではあるかもしれないけれど、僕がこの山奥で彼らにできることは周辺環境含め、できるだけ彼らが過ごしやすい空間をつくること。 そのお礼に畑の野菜を実らせてくれたり、果樹もたくさん採れるようになるだろう。 幾らかの蜂蜜もいただくことになるだろう。 最後の最後、僕にひっかっかていたのは彼らの集めた蜜をもらうということ。ミツバチと共に暮らしたいとは思っていても、別に彼らが集めた蜜をあえてもらう理由は特にない。 でも、去年ミツバチと共に暮らす人から 「巣が大きくなりすぎると、暑さや重みで巣が落ちてしまって全滅してしまう。定期的に人の手で助けてあげないと」と。 まさに共存。 近年の温暖化は至る所に影響を及ぼしていることを改めて痛感する。きっと知らないところで自然のミツバチの巣はたくさん落ちてしまっているのではないかと。 ミツバチに助けられること、人が助けてあげられること。その助けた際の少しの蜜は家でありがたくいただくということ。 少しでもミツバチがまた増え続けられるように。 できるならば、どこか遠い国で何十年もかけて育った木の蜜より、僕はその方がより自然の循環の中にいると感じたし、ミツバチと共に生活することでもっと自然のリズムに参加させてもらえる気がしてならない。 そんなこんなで息子と巣箱作りにとりかかり、この雨が止んだら彼らの家を設置してあげよう。 ネットで調べれば、ヴィーガンは蜂蜜を食べてはならない。食べてる人はヴィーガンではない。だから私は食べない。 そこに”考える”というプロセスはない。 そうではなくて、 もっと視野を広げ、学び、考え、その結果何が本当に循環した調和の取れた選択なのか。それが僕らの望む生き方だし、できることを一つずつ実行していく。 形はその人それぞれだと思う。もちろん私利私欲に動かされる動機は別として。 量産される蜂蜜を買うことはないだろうし。 もし定義だけに囚われるくらいなら、たとえヴィーガンと呼ばれなくたって僕は気にしないし、そんな肩書きのためにヴィーガンしていたわけでもない。 一歩さらに地球にできることをした形だと僕は思っている。 今のところ。 もしかしたら実際共に暮らしてみてまた違う考えになるかもしれないけれど。 今のところはより自然と共存できるくらしの一歩だと思っている。 ヨーガの教えも、ヴェーダの教えも、自然界の教えも、なんでもそうだけど、熟考すると言葉の意味がもっと深くみえてくるんじゃないかなと。 表面的なことにただトライするのもいいけど、その先がいつまでもあるということ。表面的なところで止まっていたら全体はなかなか見えてこないということ。 大人も子供も常に”考える”ことを楽しめるそんな人が一人でも増えたら、未来はどんどんよくなっていくと僕は信じている。 何より、ミツバチって可愛いんだよな。 楽しみだな〜。…
ヴィーガンとミツバチ その1
ナマステ。 フリースクールを設立しようとこの数年少しずつ準備を進めているのですが、 たまにどんな理念の学校なのかと聞かれます。 理念かどうかは分かりませんが、子供達があるがままの自分であれる場所でありたいなとは思っています。 自分の気持ちを押し殺したり、自分の気持ちに嘘をつかなければならないような環境ではなく、自分の気持ちを正直に表現できるそんな場所です。 それは子供に限らず、大人もそうであって欲しいと願うし、自分を偽ることが当たり前な社会がさまざまな社会問題を生んでいるとも思っています。 時に素直な気持ちは周りとぶつかることもあるでしょうが、そこで生まれる対話に学びがあり、それが本当に大切な時間だと思っています。 そしてもう一つ、大切にしていることは”考える”ということ。 自分で考えるということは当たり前のようで、現代では大きく欠如した人々の能力だと思っています。 自分が何をしたいかもわからなかったり、何か分からなければすぐに携帯で調べて、その情報を鵜呑みにしてしまったり。 少し時間が空けば、考えることよりも、携帯の画面をみて頭を使わずにすむ時間を過ごしてしまったり。 ヨーガもそうだけれども、聞いたこと学んだことを自分でさらに考えて、試して、考察する。 天気だって、食べ物のことだって、画面に出てきたことを鵜呑みにして、実は考えてないことの方が多いのが現代の世の中。 ひとつ前のブログでも書いたけれど、複雑な情報を簡単に手に入れられるようになったことによって、実は人々は頭や感覚を使わなくなっているように見えます。 さて、前置きが長くなりましたが、ご存知の通り山での暮らしを僕はしている。 畑に田んぼ、山の恵をいただき、自然になるべくインパクトの少ない生活を心がけている。 こんな暮らしを始めた頃からずっと気になっていることがある。 それはミツバチの存在。 みなさんはミツバチを気にして生活したことはあるだろうか? 近年、日本の在来種ニホンミツバチは数が減り絶滅してしまうのではと危惧されるほど。 減少によってさまざまな被害もではじめている。 一般的に市場に出回る蜂蜜や養蜂家が育てるのは外来種のセイヨウミツバチである。 このニホンミツバチの減少の原因には森林問題や、気候問題、農薬などさまざまな理由が考えられる。 皆さんはこんなことを聞いたことあるだろうか? 「世界のミツバチが絶滅するとその4年後に人類は滅びる」 これはかの天才アルベルト・アインシュタインの言葉だ。 自然に馴染みがない方にはイメージしにくいかもしれないが、多くの作物や植物はミツバチによって受粉されている。 ミツバチによる受粉がされなくなれば、多くの作物が実らなくなり、人々は食べるものを失い、自然界の秩序が乱れ始め、今保たれている自然も姿を変えていくだろう。 野菜だけでなく、植物が育たなくなれば、土が痩せ、川も海も栄養を失い、水辺の生き物も、動物たちも大きな影響を受けるに違いない。 僕の住む小さな集落でも昔からミツバチを育てていたじいちゃんによれば、もうミツバチはほとんどおらんくなった。昔はいくらでもおったのに、という。 畑をしていてもミツバチがいればもっと野菜が実るだろうと思うこともよくある。 色々な想いが重なり、この自然と共に生きる暮らしをしてからはいつかミツバチのお世話をしたいと思うようになっていた。 長くなりそうなので、つづく。
シンプルライフって本当にシンプルライフ?
ナマステ。 僕らの暮らしは一般的にシンプルライフと言われるような暮らしなのだろう。 できる限り機械に頼らず、木を切り、火を起こし、川や山の水で生活をしている。種を蒔き、米や野菜を育て、虫や動物、植物や木々たちと共に。 一見、その暮らしはとても魅力的で都会に暮らす人々からは羨望の眼差しを向けられることも少なくない。 もちろん僕にとってはこの上なく幸せな暮らしだ。 でも、これって本当に多くの人がイメージするシンプルなのだろうかと首を傾げることもしばしばある。 だってシンプルライフやスローライフという言葉から想像できないほどに、自然との暮らしは毎日”やらなければならないこと”が次から次へと押し寄せてとてつもなく複雑にさまざまな出来事が絡み合っているのだから。 冬に薪ストーブで暖をとりたければ、少なくとも1年以上前から薪を割って乾かさなければならないし、その薪は山に木を切りに行かなければならないし、そのためには薪小屋を作っておかなければならないし、チェーンソーの刃は研がなければならないし、そのためには…。 山に季節の山菜やお茶、食材が実ったならば、天気と実り具合をみながら山に入らなければならない。街では考えられないほどの量が一度にたくさん採れ、大抵の山の恵みは下処理がとても面倒なものばかりだ。大量の面倒な下処理をその日中に終わらせなければならず、また天気と相談しながら、1年分の保存食を天日干しする。 そうこうしているうちに、あたりは草ぼうぼうになりはじめ、草刈りに追われていると次の季節の仕事がやってくるか、どこからかじいちゃんばあちゃんがやってきてなんてことない長時間の井戸端会議が始まるのだ。 自分のやりたいことなんてなかなか進まない。でも自然は待ってはくれない。 ひとつひとつどれもやっていることはとてもシンプルなのだが、その暮らしは季節のリズムやその年の気候、自然界の秩序や人々との繋がりが本当に複雑に絡み合って構成されている。 頭や五感が最大限に働いていると言ってもいいかもしれない。 逆に、街の暮らしはどうだっただろうか。 複雑な機械に囲まれて、とりあえずスイッチを押せば明るく、綺麗に、なんなら食べ物さえもスイッチで出てきてしまう時代だ。 朝起きて、複雑な機械に触れるところから始まり、複雑な路線に乗って、複雑な機械とともに1日を終え、どこからきたか分からない食べ物がいつでもどの季節でも買えて、帰ってきたらまた複雑な機械の画面を見て、また朝が来て、またスイッチを押して…。 複雑に見えるこっちの方が実は”単純”な暮らしではないだろうか。 人々はシンプルライフを求めているようで、実はもっと複雑に絡み合った頭や五感をフルに働かせている暮らしを求めているのではないだろうか。 自然の中で畑作業をしていたら、頭がスッキリするように思えるのは、何も考えないからではなくて、五感が働いているからなのではないだろうか。 身体が動かないでじっとしていたら凝り固まるのと同じで、頭や感覚も同じなのかもしれない。 スローライフに憧れて都会から移住した人が、田舎生活は想像以上に忙しく、うまく行かず、周りとの付き合いが面倒だなどの理由ですぐに戻ってしまうことも少なくない。 シンプルだと思った生活は都会では考えられないほどに複雑だったからだ。 シンプルなようで複雑な暮らしなのか、複雑なようで単純な暮らしなのか。 田舎だから都会だからという話ではなく、これはどこにいても自分の選択でシンプルな暮らしはできるだろうというもの。 シンプルな暮らしは時間や手間がかかる。 そこに価値が見えるのか、そうでないのか。ただそれだけな気がする。 僕は手間のかかることが好きなようだ。 今日は藍染の準備をすることにしよう。着るものを大切に長く使うために。 こりゃまた手間のかかることになりそうだ。
とくしま住民投票の会
「とくしま住民投票の会」 今年、徳島県内の有志によってこのような団体が設立された。 代表は僕ら家族がお世話になっているフリースクールTOEC代表伊勢達郎氏。 僕はこの団体の呼びかけ人としてお声がけいただき、この団体に参加させていただくことになった。 簡単に言えば、住民の声がもっと政治に反映される仕組みづくりである。 選挙の時だけではどうしても、住民の想いが届きにくいこの現状を、あらたな条例を生み出すことで、民意が届きやすい政治の仕組みをつくるというもの。 この条例ができることで徳島から全国へ広められるモデルケースになればという想いで設立された。 これが実現して全国に広まれば、日本がより民主的なあり方であれるのではないかという希望を持った活動である。 もちろんそこにはたくさんの課題や問題点もあるだろう。 絶対にこの条例を作って政治を変えてやるんだー!という対政治家という気持ちではなく、本当にこの条例は有意義であって、調和的であるかどうかから話し合いが始められた。 理想論かもしれないけれど、だれも敵を生まない政治でありたいと僕は思う。 僕も10年以上前に政治に関心を持ち、自分なりの活動を続けていますが、選挙の時だけ盛り上がる関心の低さや、無関心が故に引きおこす社会問題、環境問題などなど。 色々頭をかかえることもこれまでにあった。 どうしたら少しでもよりよい未来へ向かえるのか。 僕には何ができるのだろうか。 2011年を境に僕は僕のできることを小さなことからやり続け、たくさんの人や環境の力でいつか大きな改革が起こせたらと思っている。 僕の活動はそんな仲間をひとりでも増やすことができればという想いが強いかもしれない。 この住民投票の運動以外にも、今はたくさんの僕ができるかもプロジェクト(教育、ゴミ、環境、山林などなど)を同時にすすめている。 もちろんひとつひとつとんでもない課題や壁、もっと専門的に学ばなければならないこと、金銭的な問題などなどそれぞれに解決しなければならないことが山積みで、生活が危ぶまれるほど。 でも、僕らはそんなことを理由に活動を止めることはしないし、絶対なんとかなると前向きな姿勢とみなさんの協力のもと焦らず一歩ずつその道をすすんでいる。 今、どのようなことをしているのか、実現する前に想いを語るのは簡単なので、今のビジョンは言いませんがいつか必ず実現させて、こんなことを実現させましたと言う報告ができるようにします。 やりたいことを口にするのは簡単。でも実際やれていることを口にしたい。 もちろん口にするべき時は口にするのも大切ですけどね。それも大切な夢を叶えるひとつの手段。 でもそれよりもいつも心の中で唱えて、想い続けることが大事な気がします。 口だけ、想いだけにならないように。 僕は全部、一つずつ実現させていきますよ!みなさんもぜひ一緒にできることやれたら嬉しいです。 こんな言葉きいたことあるでしょうか? 何かをしたい人、10000人。 それを始める人、100人。 それを続ける人、1人。 僕は胸を張って、その1人であると言えるように、これからも体現し続けていきたいと思います。 できる範囲でね。なまけることも大切だしね。楽しんでワクワクできることやっていきましょう! よりよい未来のために。今できることを。
ムダのてつがく
先日、文化人類学者であり環境活動家の辻伸一さんの講演会に参加させてもらってきました。 辻さんは”ナマケモノ倶楽部”という団体の代表の方で、環境活動や自然と共に生きる考えを伝えられている。 僕が辻さんのことを知ったのは、つい去年のこと。 我が家で既に”なまけもの食堂”をオープンさせた後のことでした。 僕はナマケモノという生き物の生き方にとても感銘を受け魅了され、そんな生き方を多くの方の生きるヒントにしてほしいと”なまけもの食堂”と名付けた。 ここで少しナマケモノの魅力を…。 そもそもナマケモノは自分のことをナマケモノだと思っているわけではない。 きっと働くことに囚われた人種の人間がつけた名前に違いない。 人になんとひどい名前で呼ばれようと、彼らは気にしない。 むしろ命をかけて一生懸命毎日を生き抜いている。 命をかけてトイレに行ったり、なるべく狙われないように少ない動きと少ない食事で日々を過ごしていたり。 それでも彼らは自然の循環の中にいる。 命懸けだが、排泄は自分の住む木の根元にし、木の栄養になってもらい、またその木に生い茂る葉を食べたり体に生やした苔を食べて生きていくのだ。 そして、ワシなどの天敵に狙われたとすると、もがき抗おうとせず、すべての力を抜き受け入れるらしい。 なんとも深い生き方である。 もっともっとナマケモノの魅力はたくさんあるのですが、僕はナマケモノという生物からたくさんの生き方を学んだ。 子供たちにも人の評価など気にせず、自分らしく生きる生き方を選択してほしい。 そして辻さんもそんなナマケモノの生態に魅了されて方の一人であった。 現在は、何をするにも何かを目標に、目的にしてそれに向かってなるべく無駄なく、コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを重視してより早く近くを求められる時代になっている。 時間がもったいない、娯楽の音楽もラジオも、映画も動画も短くまとめられたり、倍速で聞き流したり。 人は無意識のうちに何かに急かされ、人にもそれを求めるようになった。 これが現在の生きづらさの原因の一つなのではないだろうか。 税金のために子供を産めと国が政策をうちだし、生まれた子供は無意識のうちに親からそんな教育を受ける。 何かのために。 もっと子供は何につながるかもわからないようなムダな時間をもっと大切に過ごすべきである。 それは大人も同じ。 ヨーガでは何のためにこの学びがあり、それのために何が自分の役割で、アーサナはそのためにあるべきで。 などなど。 学べば学ぶほど、頭がかたく、視野が狭く、楽しみが義務へと変わってくる人々をたくさん見てきた。 アーサナは聖典を理解するための準備のためにあるべきと教えられた人がアーサナが楽しく無くなってしまったと相談を受けることもある。 もちろんそうだけど、それだけなのか。 もっとムダだと思われるような、自分が本当に好きで没頭できる時間があってもいいのではないだろうか。 僕の生活は街に暮らす人からみたらとてもムダで、時間がかかって、こんな暮らしは街ではできないと言われるようなものだ。 ふらふら何時間も川辺を歩いたり、ひっきりなしにくる来客と1日中お茶をのんでいることだって珍しくない。 なんなら川で水切りをかなり熱心にやっている大人のひとりだとも思う。 あれなんて人生で何の役に立つというのか。 それでも僕は自分のできることを全力でやっている。 人からどう思われるか、どう見られているかなど考えず。 ヨーガを学ぶ人は、人生はヨーガの聖典からしか学べないと思いがちだけど、自然から、周りの人からいくらでも学ぶことはできる。 もっとなまけてもいいんじゃない? ナマケモノをみてごらんよ。 もっとなまけられる社会が僕もいいと思うし、辻さんにそれを再確認させてもらった。 でも僕は好きだからこれからの自然と未来の子供達のために今日も全力でできることに没頭します。ムダな時間と共に。
ヨーガの先生であること
ナマステ。 僕はヨーガの先生であることを頑なに否定してきたこの数年。 ふと、なぜこんなにもヨーガの先生ではないと自分に言い聞かせてきたのだろうかと。 今日の練習を終えて少し静かに過ごしていると、いろいろと過去の記憶が整理されてきた。 僕はヨーガを学びたいと思い、さまざまなクラスをヨガスタジオで受けた結果、Ashtanga Yogaというものに出会った。 それからもっとそのヨーガを学びたいと思って、インドに通うようになった。 学べば学ぶほど、知りたい道が定まり、いつしか聖典を学ぶようになった。 そうしてだんだんとヨーガの全体像が見えて来たように思う。 その中で、多くの方と同じようにこの素晴らしい知識をシェアしたいと思い、ヨーガを伝える機会をいただくようになった。 僕はヨーガを伝えることがとても好きです。 でも、そうなるとどの世界でも同じなのかもしれないけれど、活動が広がれば面倒なことも起きるようになった。 何年も前のことだしもう過ぎた話としてですが、ヨーガを学ぶため、インドに通ったり、聖典を長く学んだ人だとしても、こんなちっぽけなことに嫉妬して、エゴに振り回されて、それでも人の前ではあたかも聖人のように振る舞って。 その教えは自分のものだとか、それは自分の領域だとか。 当時僕はこのヨガ業界に心底呆れてしまったんだと思う。 たったひとつのひとりの出来事によって。 そんなに欲しいならどうぞ僕は全ていりません、全部どうぞ。とその時先生であることを僕は手放してしまった。 僕はただ、自分が学びたいだけだから。 僕は昔からこうゆう癖があるのだと思う。 不必要な争いに巻き込まれるくらいなら、自分の持っているものはすぐに手放してしまおう、と。 その時の強い出来事が、きっと僕の頭のどこかにこびりついていて、今でも先生でありたくないと強く思っていたのだと思う。 でも、最初にも言ったように、僕はヨーガを伝えるのがとても好きなのです。 職業がヨーガの先生でなくても、ヨーガは伝えられる。 そんな想いでその人の領域?に入らないように、家の周りの地元の人に伝えたり、四国あたりから出ないようにしたり。笑 それでもやっぱり伝えるの好きだからちょこまかちょこまか、もう部外者だしという気持ちでうろちょろし始め、 そこから気心の知れた仲間と一緒に何かクラスをさせてもらい、よりちょろちょろし始めた。 それでも今日の朝まで僕はヨーガの先生であってはならないと、どこかに強い想いが纏わりついていてそれを自分に言い聞かせていた。 僕は今は環境活動と子供達の教育のことを熱心に取り組んでいて、間違いなくそれは何よりもやりたいことである。 でも、この環境問題や教育のこれからを考えている中で、僕の向かいたい世界を目指すには、全国のヨーガを学ぶみなさんと共に進んでいけたらと強く思っているのです。 みなさんと共に歩まなければ目指したい世界は実現しないと思う。 そんなみなさんとこの現状を共有するためには、僕は部外者であってはならないし、ヨーガのみなさんから離れた場所で活動をつづけても思い描く未来はやってこない。 ヨーガを学ぶみなさんの力が何よりも必要だと心から信じているのです。 過去のくだらない一つのできごとで、未来のこどもたちに返せる豊かな自然や、その子らしく生きる可能性を少しでも減らしてはいけない。 今朝の練習後、強くそれを思いました。 僕はみなさんに伝えたいことがまだまだたくさんあります。 それがヨーガなのか地球のことなのか、未来のことなのか。 僕の中ではひとつの物語。 ヨーガを学ぶ皆さんとまだまだ手を取り合い、未来をより良いものであれるように歩み続けるために、僕はヨーガを伝える人でありたいとまた強く思えるようになりました。 ヨーガの先生という肩書きを維持するためではなく、未来の地球や子供たちのために自分にできることとしてまたヨーガの先生であろうと思った朝の出来事でした。 がんこだから自分でも呆れちゃいますね。 改めて、ヨーガ指導者兼、環境活動家として積極的に活動していきたいと思います。 ヨーガから離れないようにと、この数年気にかけて指導の場を作ってくれたすべての仲間たちや先輩に感謝。 ちょっとずつ、指導者としても活動を増やしていければと思いました。 明日より胸を張ってヨーガの先生させてもらいます。 明るい未来を目指して。